チェコの外国人警察事情・2018現在

先日、チェコの外国人警察はヤバい!みたいな話しかネットにない、と小耳に挟んだので、最近の外国人警察事情を書きます。

結論から言うと「全然そんなことないです。むしろどんどん改善してる。先進国よりよっぽど優しいと思う」。

私も外国人として滞在してますから、もちろんビザ(正確には長期滞在許可証なんですが、書くのが長くてめんどいので以下ビザ)の苦労はしています。でも、ビザあっての私たち外国人が滞在できるのですから、これはやるしかない。

・外国人警察事情も、最近は本当に改善されました。
今は事前に予約もできますし、予約も以前は電話オンリーチェコ語オンリーでしたが、今はオンラインリザベーション(https://frs.gov.cz)が誰にでも可能です。アカウント作ってオンラインで予約し、その時間に行って端末で自分の名前の番号札を出したら、あとは番号が呼ばれたら窓口に行くだけ。時間のロスが極限まで減りました。
窓口の人も、ずいぶん英語も話してくれるようになりました。学生専用の警察には日本びいきの方もいるようで、日本語で話しかけてくれたりとずいぶん親切なようです!もっと気楽に行って大丈夫です。

・そして私のような「特殊なケース」(ただの個人事業主滞在者なのですが、あまり数が多くないから…らしい)の場合、特別窓口という部門がちゃんとあります。私は英語でメールを送ったら、Letnaにあるその部署からものっすごい美しい英語でリザベーションお取りしますという返事が来て、そこに行ったら瞬殺で用事が済み、非常に速やかにビザが発給されました。いやもう、びっくりしました。。この体験があまりにも大変だったのでどこにも今まで書いてなかったんですが…、個人事業主の方はLetnaの警察に行けば一発だ、と覚えといてください。それでオールOK。本当に仕事のできる人たちがあそこには揃ってます、心配しなくていいです。ブリッジビザも速攻で出ます。楽勝です。安心。。私は最初の2年間、普通の区で割り振られた警察行ってたけど本当にうまくいかず最終的に「3日しか有効期間がないビザですが、出しますか」と言われるという。しかもあっちのミスで…。(上層部のミスは下層部では覆せないので窓口の人には何もできない)あの時は究極の選択迫られました。が、もうここではダメだ、とりあえず出してもらって別の警察で仕切り直そう。ととっさに決意し、3日でいいです、と出してもらって、それを持って英語で案内が来たLetnaの方に行ったら一発、でした。
足りない書類とか、何が必要とかもあっちが言ってくれるので、それに従ってればOKです。自信もって!


・あと「チェコは他の国よりマシ」とする根拠ですが、比べる先がちょっと悪いかもしれませんが、例えばフランスとかは、フランス語きちんと喋ってるのに「あらごめんなさい、発音が悪くて何て言ってるのか分からなかったわ…」みたいなこと普通に言われるそうです。……怖いですね。チェコなんて、がんばってチェコ語喋ったらめっちゃ親切にしてくれるもんね…。英語も若い人は簡単な会話ぐらいならわりとできるんで、数年前までのように、なんかもうにっちもさっちもいかなくて挙げ句の果てに怒られる、みたいなことは本当になくなりましたね…。
それと例えばアメリカなどは、1日でも許可証の有効期限を過ぎてしまったら、一歩アメリカを出たらもう二度と入国できないぐらいのブラックリストに即入ります。なので、アメリカ国内で国に帰れない人は本当にたくさんいるそうです。厳しすぎると思いますか?でも、全ての外国人にゆるゆるのルールを適用してたら、国が成り立つと思いますか?特にアメリカは外国人が多いですから、厳しいのも普通の措置なのだろうと思います。
それに比べれば、チェコは小さな国なのもあり、まだ優しくてゆるい部分があります。期限が過ぎたら普通には受け付けてはもらえないものの、嘆願書だとか、真面目にしてますから!みたいな手紙を出せば、過ぎたのが3〜4日であれば間に合うこともよくあるようです。もちろん、それ以上過ぎたらもう、ブラックリストになります。外国人なのですから、滞在申請ぐらいはきちんとしましょう。私たちは「居させてもらってる」立場です。きちんと申請に行くぐらい、当たり前なのですから。

・私は、ほとんどの場合は一人で行ってます。本当に分からないとき、ヤバいとき、複雑すぎてどうにもならなそうな時だけ友人に一緒に行ってチェコ語で聞いてもらってました。でも今は本当に改善されてます!単純に必要書類揃ってて出しに行くだけなら、かなり早く出るようになりましたよ。

・ただ、早くといっても1〜2ヶ月は普通です。3〜4ヶ月かかる場合もありますが、それを急かすことは不可能なので、ただ待つだけになります。滞在は合法ですのでご安心を(次項目参照)。
私のビジネスビザ申請も、書類を出してから半年以上音沙汰がなく、「プロセスを早めてください申請」の書類を送ってやっとさらに1ヶ月後に返事が来る、とか(そして「この書類が足りない」と言われるイタチごっこ)はザラでした。そういう場合は促進願い出してつっつきましょう。ブリッジビザを取りに行ったついでに「今わたしのビザの申請状況どうなってますか」って聞くのも良いです、促進がてらになります。

・滞在許可証申請中は、手元にIDカードがないからといっても、ご安心を。合法です。「今、申請中です」というデータ状態になっているので、あなたは合法的にEUに滞在しております。でもチェコ国外へ旅行に出る時には、ブリッジビザが必要になりますので、警察にメールを出したり予約を取ったりして「ブリッジビザ出してください」とお願いしましょう。すぐ出るよ。
ちなみにチェコ語ではPřeklenovací štítekと言います。Potřebuju překlenovací štítku, prosím.と言ったり書いたりしましょう。

以上です!頑張っていこ!!

godzmekano vol.1 / ゴズメカノ第一回

開催から半年ほど経ちましたが、この度やっとアーカイブ用ウェブページも準備できましたので、このタイミングにて今年1月に無事行われましたゴズメカノの当日の感想や、描きながら見ていたもの、感じていたことなどをまとめてみました。


◯このライブは全てインプロビゼーション、一切準備しない、その場の本人たち同士の響きあったもの、反響しあったものが紙にその場で落とし込まれていく、という不思議な磁場。お互いの表現物への信頼がなければできないことですし、何か「通ずるもの」があるという感覚と、何も決まっていないインプロビゼーションという生モノを乗り切れる内的強靭さを持ってる人だという確信も必要だったりします。さらにはやりたくてもその時の私生活の状態やらで不可能なことも多々あるわけですから、これがすんなり成立したこと自体もなかなかの奇跡です。
その他準備に必要ないろいろなものが本当にスイスイと決まっていき、こんなにサクッと決まることもあるのか…と思うほどの順調な第一回を無事に行うことができました。
ひとまず1回目はこじんまりした場所でやろうか、ということで借りた場所があまりにも小さかったのは若干想定外だったのですが、結果的には来場者の皆さんに見守られながら、最もよい形で第一歩を踏み出せたような…そんな気が、私はしました。


◯当日見た方や映像を見ていただいた方は分かるかと思うのですが、基本的には私は「紙の中に誰かが埋まっている」のを「掘り出す」作業、みたいな感じで描いています。印画紙に手動でプリントアウトするような感じ。普段も基本これです。何を描くかは私の知らないところで既に出来上がっている、というような感覚が常にあります。また、そういう絵でないと自分が満足できないということに20歳の時に気がついてから、そうしています。
例えば石の塊を見るとそこにいる存在がもう見えてて、それを掘り出すだけだと言ったミケランジェロを引き合いに出すのはおこがましいかもしれませんが、アーティストにはある一定の割合でそういうタイプがいるんじゃないかと思います。で、私はそのタイプなのです。紙の繊維の中に紛れ込んでるような感じがするので、そこにピントを合わせると、絵が出てくる、というような。で、見つけた時点では、それが誰なのか、何なのかなどは私には分かりません。ただその存在が、ビジュアルで「この画面のここに、このぐらいの濃度のこの色で、こういう形のタッチを置いてください」と頭の中に指示を出してくるのです。で、それに従ってそれを置くと、その次はこう、次はこれ、というのが勝手に導かれていくというのを途切れることなく次々にやっていき、「指示」が途切れてあっ終わったな、と思ったら最後に全体を眺めて、ちょっとだけちょんちょん、と整えたら、それでその絵は完成です。それ以上でもそれ以下でも、私の絵ではなくなります。

私は常にこの描き方なので何を描いてもライブみたいなものなのですが、今回はいわたさんの音があるという非常に特別な状況なので、この音が刺激して紙の中からアピールしてきたものは全て出し切ろうと思いました。事前に何も計画はできませんから、とにかく、集中力との闘いです。計画するとつまらない絵しか描けないタイプなのもありますし、計画してるんなら勝手に絵描いて個展やれよ…て話だと思うので、ライブでは絶対に裸一貫で舞台に上がるというのだけは決めています。

また、今回キャンバスの大きさを決めるのが自分の中で少し難航しました。以前ドラマーとやっていたライブでは、大きな一枚のキャンバス(というか襖)を用意して「1ライブで1枚」仕上げる形でしたが、今回は墨やインクを使いたい都合上、大きな紙を用意して立てかけて描くことは現実的ではありませんでした。
そのため、水張りしたパネルの大きさや紙違い、複数の種類の四辺天糊の水彩紙ブロックを用意して、描き終わったものをドライヤーで裏で乾かしてまた戻してもらうことで、紙を常に選び放題にしながら描き続けるシステムを思いつき、これのおかげでライブが実現しました。
枚数も当日、どのぐらい描いたら満足するもんなのか、1ライブの間に自分がどのぐらいの大きさのものどういう密度で描きたいと感じるかなど全く予測できない状態でしたので、とにかく後悔だけはしないようにと、チェコからもかなりの数の水彩紙ブロックや画材を持ち帰り、実家ではせっせと大きめのパネルに水張りをして準備しました。
果たして当日は、水張りパネル(A2サイズ)が二つ、木炭紙大が一つ、四辺が20〜40cmほどの水彩紙ブロック複数を好き放題に使える状態にできたので、非常に良かったと思います。

課題としては、手元を写すカメラが固定だったために動き回ると手元が見えないことが多かったので、可能であれば次回からは手元を写してくれる方に手伝っていただけたら…と。遠くからでも見える大きなキャンバスではなくなった以上、これはクリアすべき点だと思います。



◯で、心構えとしましては…。まぁこの初々しかった感覚も初回限りかもしれないので書いときたいんですけど、もともと私は本当にいわたさんの一ファンにすぎないと思ってまして、でもいわたさんも気づけば毎回私の東京での個展に来てくれてたりとかしてたので芸術家としてはちゃんと対等な関係を保ってきたのだなと今になったら分かってはいるんですけど、やっぱり一緒にやる第一回目の前ですから、緊張しましたよ。家出る時とかそこそこガチガチでしたよ。だって、想像してみてください。あなたがベリーヤングな時代から憧れていた大好きなバンドのもういわばロックスタァーとあなたが一緒に仕事をすることになったとしたら、ですよ。いやそりゃまず第一に楽しみだしワクワクですけど、緊張だってそりゃしますよね?
しますよね??????
しますよね!?!?!?!?!?!?!?!?!
しました。(報告)
というわけで私としてはわりと珍しく、家を出て会場について、開場30分前にいわたさんがリハの音出しを始めるまで、緊張は相当、してました。(報告)
(報告終わり)


なんですけど、いわたさんがリハでたったの一音出した瞬間に、そんなものも全て吹き飛びまして。
なんか、音聞いた瞬間に、気づいたんですよね。
あ、なんだ、この大好きな音の世界が今日の全てなんだから、ここで私は自由に泳げばいいんだ、と。
そこからは、私は終始笑顔でした。
澄んだあたたかい水の中で、ずっと泳いでいるような。晴れた日の浅瀬の海の中から、水色の空を眺めているような。そんな感覚でした。
瑞々しく、呼吸ができて、やるべきことが全てできる環境がそこにありました。



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◯ここからは当日の流れのレポです!
フルバージョンの動画を見ながら読んでも面白いかもしれません。
絵を描きながら私の中に見えてたものとか、追ってた「何か」とかのことをまとめてみました。



始まりの瞬間は、またしてもたったの一音でした。
30分ぐらいつらつらといわたさんが調整しながら弾いてる間に私も準備を済ませ、開演時間がやってきまして、お客さんもつらつらと入ってきて、という自由空間の中、
それはごく自然に、やってきました。
ふわーっと撫でている感じだった音からある瞬間ふと、ぴん、と張り詰めた音が一音、出たのです。

その瞬間、あ、来た。と思いまして。即座に私の中の何かが反応し、ほとんどその直後に描き始めました。
気づいたら突然私が描き始めたので、スタッフ氏もびっくりしたと思います。なのでフル録画の始まりが突然始まってるのは、多分そのせいかと…。


というわけで、あっ来た、と思った瞬間にパネルを一つ出しましたらわりとすぐにビンゴでして、紙の中にいた「誰か」をすぐさま掘り出しにかかりました。


たっぷりの水を敷き、そこに黒のインクを泳がせるように右上あたりからの雲をフワフワヒラ、と降りてくるように描かされて、右下にいる男の子が姿を現しました。
君は、誰なんだ…と問いかけながら描いてると、建物の四角いシルエットや、木々が現れました。彼は街にいるようなのです。
街にいて、孤独で、孤立はしていないけれど、闘うためにそこに立っている、都会の男の子。
霞の中にぼんやりと、でも何かを持ってこちらを見ていた、一年前に描いたプラハの女の子と、似ているようで、対照的なようで。
左下からもう一人?一匹?誰かが出ようとしていましたが、あまり良い存在のようじゃなかったので、お前の出番はないよ、と少し、塗りつぶしました。
1枚目はそのようにして、空気を味わうように描きあがりました。


録画を自分で見てて面白かったのが、描き上がるとぱっと全体を一目見て、うん終わった。と思った瞬間に脇にどけて、すぐさま次の紙を見始めて、あ、また誰かいた。と思った瞬間に描き始めるんですね。ハンターですね。虫を捕まえるみたいな速度で描き始めるので面白かったです。
音がそこにあって、どんどん連れて行かれるのです。




2枚目は、この日下ろした新しい水彩紙ブロックのビニールをウキウキしながら剥がしたら(その場で…笑)、1枚目にグレーの水彩紙が保護のために張ってあって。剥がそうかなと思ったのですが、普通にそれも同じ質の水彩紙で、きれいだな…と思っていたら紙の中に「誰か」を確認したため、描き始めました。
描き始めた時は彼の年齢も正体も知りません。ただ、例えばこの絵は額とか鼻のラインから現れて、描いていくうちに、あ、おじいさんだ。と思うわけです。
さっきが水をたっぷり使ったものだったので、次はドライ筆でざくざく描いてましたね。なんとなく。
絵のタイトルは、イベントが終わった翌日あたりに、一枚ずつ見ながら心に自然に浮かんだキーワードや音から決めていったのですが、彼は老いたオイディプスだそうです。
(全く余談ですがこの時期は老人をよく描いていたような…)
星も散ってますし、なんだか魅力的な方でした。




それを描き終わって3枚目、これもわりと早かった気がします。あ、ここに埋まってる、紙のここに、このラインが、こう。でもう始めてました。
描いてるうち、音に包まれて、反応しあって、どんどん研ぎ澄まされていきます。どこかの世界へ、自分の意識も集中していきます。自分がどこにいるのかは分かりませんが、自分が何をしているのかは知っています。「対話」です。あちらの世界との。
この人は、多層的多次元的で、奥深い存在だった気がします。人間ではなく、何かの叡智、であった気がします。その人が、その方向へ進め。と言っていたので、描きながら「そっちってどっちの方向?どっちなの?どっち?」て聞いてました。(描く対象に、どう描いてほしいのかはっきり指示しろ、と言うことがあります。この日は描いてるスピードがものすごかったのもあって、頻発しました) で、こっちだよ。って手が出て来たので、そっちかぁ〜なるほどぉ〜てなって、この絵はちゃんと完成しました。何がなるほどなんだか私も分からないんですけど、なるほどぉ…って気持ちが納得したのでそうだったみたいです。よかったねぇ。


そして4枚め。
録画見てたら、音が自然と強いものに変わったのにほぼ同時に反応してこの絵が出て来てるのが、自分でも面白かったです。こんなに瞬時に反応してるんだ、と。
紙の中から出て来た人は、必死で声を抑えていました。怒りとそのことへの恐怖が、彼にそうさせているのです。彼はずっと、言うべきことを抑えてきました。言うとしたら、怒鳴ってしまうから。きっと壊してしまうから。自分は、誰かを許すことができないと思うから。
でも、怒りは限界です。もう彼には、これ以上堪えることはできません。
今、ガッチリ口元を押さえつけてきた大きな手を外すのは、彼の意思によって、行われるのです。
このようなタイプの絵を私は描くことがあります。その時は動画でも少し見れますがこのように、真っ黒なままの現役の黒のインクを使います。血液のように。
私の中には怒りがあり、それは力でもあり、精神の血液であり、沸騰を続けています。この怒りには理由はありますが、あまり個人的なものではありません。理由のない激しい怒り、全体的な「何か」に対する反抗心のようなものに近いのでしょうか…。彼の目が生きていることが、そのへんを代弁してるのかもしれません。



さて、結構充実した感じで4枚描いて、いや〜描いたねぇ〜、なんて言ってたところで、ここで手元でインクの瓶を倒して、机の上にインクこぼしたんですよねぇ。(爽)
ここまでけっこう、ギューッと凝縮して集中して描いてきたので、ちょっと遊びたい気分でもありました。こぼれたインクももったいない。使えばいいじゃない。そうそう、でっかい紙を用意してさ、そこに、どんどん使っていけばいいや。と、描いていったのがこの、5枚目です。
フェルトの下敷きはインクを下に通さないので慌てることもなく、のんびりとこぼれたインクを指で拾ったり筆で吸わせたりしながら、紙の上に舞わせていきました。
自由でリラックスした状態だったので、写真が良い感じのものが多かった気もします。音もとても気持ちよく、のびのびしていました。この絵は息抜きぐらいに思っていたのですが、さらさらと葉っぱが舞い散る秋のような、わりと好きな空気感のある絵です。


ここで問題の、6枚目です。
動画を見ていただくとお分かりかと思いますが、なかなか、描き始めないんですね。まぁ〜〜〜進まない。ここまでは、描き終わって次の紙を見るや否やぐらいの速度で描いていたので、お客さんたちも安心して見ていられたのではないかと思うんですが、この6枚目がね、なかなか出てこなくて。(録画を見ていた私は、当時の自分よりも胃が痛くなりました…。)
この時何が起きていたかというと、もう、例の「対話」です。
というのは、降りてこようとしていた「人」がいたのですが、後で思うとそれは私の知っている人ではなかったんです。いわたさんのとある深い関わりのある方で、私は一度もお会いしたことがなく、よく知らなかったので、図像化しづらかったみたいなんですよね。でも、どうしても形になりたいと。描いてほしいと。言うので、「いや、描いてほしいならもうちょっとくっきり出てほしいんだけど」と私は言うし、その人も精一杯「形」になろうとするのですが、いかんせんまだ時間が十分経っていなくて、うまくできないようで。私もなんとか出してあげたい気持ちはあるけど、もうあと少しだけなんとかしてくれないと、ここには出てこれないよ。どうするの。どうしてほしいの。と、紙の上をずっと見つめ続けたり、紙を縦位置と横位置を変えてみたりという時間が、一体どれぐらいあったのか…。(ライブやると大抵苦しい時間が一度はあるんですが、この日はここが最難関でした)長い長い見つめ合いの後に、やっと、とっかかりが見つかりました。大きな紙に、ごく大きなタッチで、ほとんど一筆書きのような仕上がりになりましたが、これが「その人」の精一杯の具現化だったのです。
コラボレーションにおいては、私が見たものも、いわたさんが経験したり感じたりしたものも、両方が合わさったものも出て来やすいですが、私側に全くいない人が出てくるということもあるのだな…と今回初めて知ることができました。といっても恐らくこの絵はイレギュラーだと思いますが…!かなり珍しい経験でした。




この苦しかった6枚目が終わって、7枚目はなんかもう、ラクガキでもすっか…みたいな気持ちでした。ここでライブが終われば見てる側の体力気力的にはラクだったろうなぁと思うのですが…最後の一滴まで絞り出さないと気が済まない性格でして…。。もう少々お付合い頂きました。
これは実は、音を聞きながら「ORANGE」という単語をタテに描いて、そこから描き始めていました。なぜかふっと、そういえばいわたさん、ORANGEってメーカーのアンプが好きって言ってたな。て思ったんですよ。私もそれ好きなんですけど。で、なんか、ORANGE…と描きながら、そのまま描いたらつまらないからねじねじしながら形を変えて、変えてったらなんかアバラ骨とか描きたくなったので、そのまま赴くままに人骨を描いてたら、一枚終わりました。これは「オレンジガール(ロボット)」って名前なんですが、ロボットなんです。かわいい。(女の子だと私は思っている)



それから別の紙に、くだんの6枚目の絵の続きみたいなものを「アチラ」からまたリクエストされたんですけど、えー本当?まだいくの?描いてほしいならはっきり出してよ?わかってんの?え?とか言いながら、水まで敷いたんですけど、描くに至らず。という絵が一枚出まして。これも…見てる側…特に…絵を描いてる人とかはこれ…ヒヤヒヤしたでしょう…ねぇ…。録画を見てるだけの私ですら胃が痛く(2度目)。
…と思ったんですけど母に聞いたら「いや、全然思わなかった」て言ってたので、これは見る人によるのかなぁ…。音と絵が連動してるのがすごくよく見えたから面白かった、と言ってました。もの作ってる友人はヒヤヒヤしたと言ってました。うーん人それぞれ。





でそれが結局描くに至らなかったんで、もう〜〜これで最後!これで全部のパネルとブロック見て、誰もいなかったら終わり!って思って、最後に総ざらいで全部の水彩紙ブロック見ていったら、あれ、い、居た……。………えっ、居た……。(二度見)いや二度見しましたよね…。いたわ…。もうしんどいから描くの終わりたいんだけども…。まぁ、いるんだから仕方がない。。この人を描いたら終わろう、と決めて、もう私もへろへろでしたし、いわたさんもへろへろだったとは思うんですけど(笑)、描き始めました。この子が終わったら本当にこれでもう終わり、この子が看取ってくれる。みたいな気持ち。ナイチンゲールみたいなとこあったかもな…イメージ。ドライ筆気味にどんどん描いていって、あ、この人で本当に今日を終わることができる、と確信しました。何か、安定感がありました。安心感というか…。この存在に見守られてたのかもしれないな…という感じ。録画を見てたら、いわたさんの音も突然急激に伸びやかになった瞬間があって、なんか、これか?な?て思いました。どうだったのでしょうね。

というわけで、無事に本日の分を終えることができました。
無事最後の一滴まで絞り切りました。
観てくださった皆様も、お疲れさまでございました…!

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◯というわけで、改めてこの日のことを、半年以上経った今でも昨日のことのように思い出すのですが…。
つい先日ふと、私の中で「まだ終わっていない」感覚であることに気づきました。確かに第一日目、第一回は終わったんですけど、まだやることが残っている…という感じで、私の中の深い部分に、ごく当たり前の顔をしてその感覚が宿っているのです。これがある以上は、機会を設けてしばらくやっていきたいなと思います。
さらに思い出したことには、本番が終わった後、いわたさんと二人で話していたら「次やる時はああしたいこうしたいとか思ってることが既に幾つかある」と言ってたんですよ、いわたさんも。なのでなんか多分、同じ気持ちなのかなと思うところがあるのです。
この日にやれることは全部やったのですが、ゴズメカノとして何かまだ、やることがまだまだある、というような…。それがコラボなのですかね。なんだか、不思議な感覚です。
もうやれること全部終わったなと思う日がいつか来るのか来ないのかは分かりませんが、それはそれとして、尊敬するアーティストと共同で何かを生み出すことのできるこの素晴らしい機会をこれからも、楽しみにしてくださる皆さんと分かち合っていけたら、本当に嬉しいです。


◯そして、当日手伝ってくれた私の大切な3人の友人は、本当に本当に素晴らしい働きをしてくれました。彼らが素晴らしい人物であることはもちろん承知の上でしたが、この日、さらに全員に惚れ直しました…。改めて、心から御礼を。ほんとにありがとう…!!!こころよく引き受けてくれて、全力でいろいろなことを手伝ってくれて、持ち前の優しさを今日もたくさんたくさん発揮してくれて、本当にありがとう。。。!みんな、最高でした。可能であればまたよろしくお願いします…!!


◯さて次回は、今のところ来年1月頃に東京で再度企画しようとしているところなのですが、さすがにハコを少し大きくしようと思っています。今回あまりにハコが小さかったので、ほとんど人を呼べなかったんですよね…。今回としてはこの環境は最高だったと思うのですが、次回、少し大きい場所を検討することにします。
もし機会が合いましたら、ぜひご覧いただければと思います。
それから、プラハ公演もやりたい…ので…!場や機会などが与えられるよう祈りつつ、活動を続けていきたいと思います。


ありがとうございました!!


當麻 ユキコ 2018年7月9日

Improvisation performance "godzmekano" vol.1 @Roppongi-flat, Tokyo on January 6th!

お知らせです!


godzmekano (ゴズメカノ) 20180106
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ギタリスト・イワタユウシと×画家&イラストレーター・當麻ユキコの、インプロビゼーションライブパフォーマンスです。
この2人でのパフォーマンスは今回が初となります。
全てその場のみで生まれる新しい音と画がひびき合い、「何か」が次々に生まれては浮かび、一つの流れを為してゆく一夜の光景を、どうぞお楽しみください。

出演 イワタユウシ/當麻ユキコ
日時 2018年1月6日 18:30 OPEN/START
料金 ¥2,000.-
会場 ロッポンギフラット http://roppongiflat.com
〒106-0032 東京都港区六本木7-18-13 金子第一ビル2F 酒のカクヤス2階
日比谷駅六本木2番出口から徒歩1分 / 大江戸線六本木駅4b出口から徒歩3分 / 千代田線乃木坂駅5番出口から徒歩7分

・18:30の開場と同時に音楽から徐々に始まっています。順次入場をご案内します。
・全体で1時間〜1時間半程度(予定)となります。
・会場でのドリンク販売はありません。お好きなお飲物を各自ご用意ください。
・会場内は自由に動いてOKです。お好きなところに座ったり立ったり歩いたり、ステージや絵を見に行ったりしてご覧ください。ただし演者や他のお客様に過度に邪魔にならないようご注意ください。

お申し込み…こちらのチケット予約フォームをご利用ください。
フォームにご記入いただいたお名前で当日、受付にて入場料をお支払いください。

お問い合わせはsurgedrv@gmail.com (イワタ)、または各個人までお気軽にどうぞ。

皆さまのお越しを心よりお待ちしてます!



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思い。


20歳の時、最初にイワタさんが所属するSUNKINGのライブを見たその瞬間から、彼の出す音が大好きでした。
あたたかくて、鋭くて、細部に至るまで天才的であり、とても自由で軽やかであり、しかし圧倒的なパワーも持ち合わせるイワタさんの音には、とにかく常に魅了されてきました。
その本質はとても言葉で言いあらわせるものではありませんが、私が何故彼の音が好きなのか、その正体の一端は恐らく今回このライブで少しは明らかになるのではないかと思うのです。
なぜなら全てをインスピレーションの会話だけで進めていくこの即興ライブというものは、相手とのタイマン勝負であり、同時に最も深く相手の核へと踏み込んでいく手段でもあるからです。
それは常に双方向ですから、少しでも実力が劣れば音に引っぱたかれて置いていかれます。少しでも心持ちが中途半端なら、底の浅さは瞬時に丸裸にされます。最初から全裸だとしたら、骨の髄まで剥がされます。そういうものです。
だからこそ、この人を選びました。そういうことができる相手は、この世に何人もいません。

私個人としては、元はといえば20歳の頃からいわたさんのただの一ファンだったものとして、彼とこのパフォーマンスができることになったのは、少し不思議な感じでもあります。
なんですが知り合って以来、私の活動を知った岩田さんも、個人的に個展を見に来てくれたり(なんだかんだほぼ毎回来てくれてた)してて、個人的な交流が長年かけてごくマイペースに続いてきた中で、私としては結構前から岩田さんとやってみたいという気持ちはあり、ふと口に出してみたら、えっやろうよ。てなった、という経緯でした。やると決まってからは、ものすごく展開が早かったです。何もかもがトントン拍子で決まっていきました。
また、有難いことにたくさんの方にご協力いただき、普段日本にいない私を助けてくださった方には感謝の念でいっぱいです。

私の絵を目的で来られる方にも、彼の音の世界は素晴らしく響くことでしょう。
また、岩田さんのファンの方や、岩田さんの表現が好きな方にとって、彼個人の音の世界をとことん堪能できるこの機会は、それだけでたまらなく贅沢なチャンスであると言えるでしょう。かく言う私もその一人です。

とにかく、少しでも興味があるなら来ない手はありません。ぜひおいでいただき、楽しんでいただけましたら幸いです。私もひたすら楽しみにしています。というか、演者二人がどこの誰よりも楽しみにしているのがこのパフォーマンスです。当日が来たら興奮しすぎで死ぬんじゃないかとちょっと本気で思っています。しなないようにがんばります。応援よろしくお願いします(?)。

godzmekanoという名前はほぼ自動で勝手に降りてきた名前なのでなんとも言えないんですけど、由来とか意味みたいなものは「自動で神的なものが降りてくる装置」というイメージです。
あと微妙にゴジラ感とメカエリチャン感があります。なんでしょう、私も岩田さんも図体がでかい、失礼、背が高いからかもしれません。襲来感があるかも。しれません。

ちなみにgodzmekanoのアクセントは「有明海」と一緒です。(個人の意見です) 


當麻 ユキコ



This is simply my honor that this time I could be able to have such a great opportunity to hold this improvisation performance with Yushi Iwata for the first time.

I’ve been just a big fan of him, but he’s been always my dear friend and he also interested in my artworks for a long time, then we’ve kept really a good relationship for a long time - it’s almost 18 years!

If you’re interested in this collaborative show, please come and join us. I’m sure it’ll make you exciting deep inside of your heart. Would be a great opportunity also for YOU!

with love,
Yukiko

UMPRUM (VŠUP) 留学について

私がUMPRUM(旧略称VŠUP)に留学して以来、そのことについて書きましたブログ記事を見てのことか、留学について質問がしたいという問い合わせを未だに定期的にいただいておりますが、そういうお問い合わせをする方のほとんどが用件が実に曖昧です。特に顕著なのが
・行くスタジオも決めてない
・決めるための下見に学校見学にも来ていない
・入学条件を大学のHPで調べたり大学に問い合わせたり、といった最低限の努力すらしていない
という、自分でできる基本的なことを何もしていない方が殆どでして、正直申し上げて大変困惑しております。
更には当ブログしか見ていないせいで私が今何をしているかも知らず、私のHPも見ていないようで本名すら調べずにアルファベットの宛名でメールをいただくこともあり、正直、正気を疑うレベルです。

UMPRUMに行きたいのであれば、言うまでもない当然の話ですが、まず大学に直接尋ねたり調べたりしてください。
コーディネーターのHanaがとても親切で返事もかなり早く、英語が堪能ですので、彼女になんでも聞くといいです。
https://www.umprum.cz/web/en/study/visual-arts-program
※このURLも変わってるかもしれませんが、Visual Artsという項目をご自分でお調べください。

また、大学の入学条件であれビザの条件であれ、毎年色々な条件がちょこまか変わります。
大使館ページも入試要項も、必ずその都度全部自分で調べて最新の情報を元に動くように気をつけてください。


調べ尽くしても分からないこと、大学や関係者に尋ねても答えてもらえなかった重要なこと、また私にしか答えられない質問内容だと思った場合のみ、メールをくださって結構です。ここまで調べたがここからがどうしても調べがつかず、留学のための準備が進められない、というように、必ず内容をはっきりさせ、私に聞く必要があるのかどうか確かめてから送ってください。
但し、自分が答える価値もいわれもないと判断した場合はお返事いたしません。
私はボランティアでも留学斡旋業者でも無料のコールセンターでもありません。私はフリーランスで忙しく、皆さんの最低限の努力すら果たされていない質問メールにお答えする義理も暇もありません。
ですので、上記のようなケースの全てに、今後は謹んで返答をお断りいたします。
どうぞご理解ください。



最後に。
本当に行きたいのかどうか、自分が行くに価するスタジオかどうかは、直接学校の展示発表会(学期末に年二回あります)を見に来たり、直接ポートフォリオを持ってアポ取って先生たちに会いに行ったりした方が、ここに来るぞ!と思えたり、ここだと思ったけど違うスタジオに惹かれたり、違う大学に行こうと思うなど、焦点もはっきりするでしょうし、気持ちが固まれば大変な留学準備も頑張れると思います。留学したいのなら必ずするべきステップの一つだと思います。
留学というのは、大変なものです。楽なことなど一つもありません。ただでさえチェコは情報が少なく、未だインフラの整わない部分も多く、気楽に来ても辛いだけだと思います。(旅行と住むこととは全く根本から違います。)食生活や住環境が合わず、身体を壊す人もいます。ましてやUMPRUMのようにマスターを取るために2年住むとなると、大変で当たり前です。分からないことしかないという状態がデフォルトです。
それでも来たいという気持ちが強いなら、その心に従うべきです。それに報いるだけのものは、必ず得られるはずです。
要は、自分自身の心としっかり向き合い、覚悟を決め、しかるべき準備は全て整えるという気概を持って臨むべきだということです。でないと、何かが起こったとき、誰も助けてくれないこともあるのですよ。
自分の決めた道なら自分で責任を取って前に進むというベーシックなことを、身につけてください。
これができていないと、個人主義のヨーロッパと全体主義の日本での根本的違いについていけないままになってしまうと思いますので…。頑張ってください。

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日本語記録なんですが、ツイッターを上記で始めました。

チェコに来てからは、英語と日本語で発信するよう心がけてたり、その方が楽な時もあったしそれが足枷になる時もあったし、という感じで、好き放題発言する場所が欲しい…みたいな部分がありました。引きこもり丸出しなんですが。ええ、引きこもりなのです。

ブログにきちんとまとめて発信できるようなことがあまりない現状なので、ちょっと私の生活覗き見したいなーと思ってくださった方はツイッターをぽちりと覗いていただけたら、と思います。

ツイッターやってる知り合いが少なそうなんですが、もしいたら遊んでやってください…!

よろしくです!



ちょっとブログも。

今、ツイッターのヘッダーにしてあるこの写真。

 

 



今年、咲きに咲いてた紫のいい香りのこの花。どうやらライラック?なのかな。

花の形と香りで、ジャスミンの紫版???って仮説してたのですが、ふとライラックという単語を見かけて「あ、それじゃん…」てなりました。。


花言葉、調べてみると既に諸説あるわけですが、目についたのは


ライラック全般の花言葉は「思い出」「友情」「謙虚」、西洋での花言葉は「pride(誇り)」「beauty(美)」

というものでした。

今の私の心境には、後者がしっくり来ます。


長い時間をかけて、生まれ直しの時間を過ごしているような心境なんですが、4月までの先の見えない感じから、今月はかなり明るい気持ちで仕事をさせてもらっています。


また、ブログも書きますね。

やっぱり、なんでもいいから発信してよかった :-)

すこし、はずみがつきました。

結論はシンプル。

なんか「発信する」という作業って、一度やらなくなるととことん分からなくなるような…! 今日は気軽に書いてみるかな。
春が過ぎ、今週から突然、夏の日差しになったプラハです。






ここ数ヶ月の変化の間に、自分のことがいくつか分かりました。何かとても重要なことが。
たとえば、私は何よりも「愛がある人」に惹かれるし、人間として最も大事なことはそれだと思っていること。
特に、「成熟した愛」の持ち主を好むようです。
成熟した愛っていうのは、一時的な、ギャーピー言う愛じゃなくて、その対象のことを深く愛し、じっくり取り組み、時にはその愛のために怒ることもでき、対象と自らをさまざまな角度から検証し、その愛の中で自らも人として学んでいく、というタイプ。そういう人には無条件の敬愛を感じます。
それは人相手でも、もの相手でも、一つの道が相手でも、同じです。

この価値観が、思い出す限り、小学生から変わっていないのは確かです。
中学生頃からはっきりとした「思想」が自らの中に芽生え始めたのですが、その頃から、愛情深い友達はとりわけ大事にしてきました。バカでも不良でも、愛情が深くかつ適切なタイプは分かります。人のケンカの仲裁のために、身を投げ出して止めに行くような子には無条件の愛を感じていました。中学校の時のその同級生と二十歳超えてから会った時、最近の彼氏との話を聞いたらまったく変わってなかったので笑ってしまったのはいい思い出です。笑
愛のある人は必ず人に恵まれるので、心配してません。

関係あるようなないようなですが、「怒り」というのは愛の深さを知るのに意外に大事なファクターだと、最近改めて気づきました。
適切に怒れる人、何かのために怒れる人というのは、意外と少ないんです。
自分の癇癪や、恐怖を隠すためにキレる人なら掃いて捨てるほどいますが、何か大切なもののために怒り、立ち上がる力に変えられる人は、それほどいないんです。
友人と会って、とある出来事について話していたとき、静かにそして確かに「私は、この現状に対して怒っている」と話してくれたその人を見て、何か、私も深く、感動しました。怒ってくれるんだ。怒ってもいいんだ…と。
もちろんそれは、誰かをヒステリックに批難することではありません。大人なので、もっとうまくやります。(笑)というか真正面切って、作品で勝負して勝つことで、その怒りに打ち勝つのです。
私が敬愛するのはこういう人達だなぁ、とその一端を再び見させてもらいました。しかも、一緒にものごとを行うことができるのが嬉しいです。

この価値観は、私にとって多分、一番大事なものです。
そういう、自分にとって一番大事だと思うものを、もっと意識したいと思いました。
大事なものは、言葉では言い表せません。
言い表せないということを知らない人は、愛の浅い人ですが、そういう人はごまんと居ます。
彼らにいちいち失望していたらキリがありません。
人間に期待してしまうのが、私のよいクセなのか悪いクセなのか分かりませんが
そんなことはともかく、自分の生き方を貫くだけだな、と思います。

人間には限りがあり、限界があります。できることは限られています。
私はこの限界に対して、この数ヶ月で折り合いをつけさせられたのだ、と思っています。
ずっとつけたかったのです。自分に自信がなくてつけられなかっただけなのです。それを今、つける時が来ただけのこと。
この限界を受けいれ、自分がやりたいことをやるために他のことを犠牲にしなくてはならないリスクを引き受けることで、1つしか取れないその人生の目的から、自分が手に入れるべき必要なものは全て与えられるのだから、自ら10を得ようとリスクを拒否するのはおかしいのです。言葉にすればこれだけのこと、でもこれを実際に覚悟するには随分かかりました。
リスクを取る、という言葉は、何かちょっと恐ろしいような印象があります。
でも実際に理解してみると、なーんだ、という感じでした。。
取るべきリスクを100%負うと決意すれば、複雑に絡まったように見えている糸は、いっぺんにほどけてしまう。
私が見出したのは、この方法でした。
生きていれば自然とそういうことも発生していきますから、どこかでほどかないとおかしくなる。
自らの原点に戻りました。

なので、ここんとこは再びワケの分からない書類地獄に放り込まれたり、永遠に終わらないのではと思えるもう何度も同じことをしてる不毛なやり取りをやらされたりしましたが、笑っていられました。私の敵はこいつらじゃないし、今目の前にあるように見えてる壁や困難はじつは私の困難ではない、と気づいたからです。これは、神さまが仮で私に渡した、単純作業のようなものです。それがどうなろうが、どうとでもなるように、神さまが作っておられるので、私は任せっきりでいて、ただ目の前にあることを一生懸命やっていればよいのです。
もう既に、いくつもの問題が起こりましたが、その度に恐ろしく奇跡的かつ非常に常識的な方法で、色々なことが解決していきました。私はただ、笑っていただけです。自分の責任ではないもので悩むのは、やめました。私の責任はただ一つ。全力で楽しんで絵を描き続け、人さまのお役に立つことです。それを材料にして、絵を描けばいいのです。

結論自体はシンプルでした。
私は今日も、絵を描いてて、生きていて、幸せ、ということです。

金色の光

今から5年前、まだ日本に住んでいた私は2011年夏の個展の後、周囲の期待とは裏腹に、今の自分に希望が見いだせなくなりました。私自身がその環境に、一切の光を感じられなくなってしまったのです。
差し当たって、昔からの願いでどうしても学びたかった「絵で本を作ること」という目標に定めた途端、チェコという国を発見し、やりたかったことを全てできる最高の環境を見つけ、願い叶って留学することができました。
その時ずっと感じていたのは、やっと未来に希望の光が見つかった、という感覚でした。
感謝が溢れました。

留学当初、私はイラストレーターとしてはズブの素人で、みんなができることを、何一つできませんでした。
今までのやり方は全て捨てると決意しました。
そして、己の中で「芸術レベル」を一度下げて「デザインレベル」を上げることに専念
し、本を3冊完成させ、それからこれからやりたいストーリーも沢山見つけて、卒業しました。

今、2016年11月。
自らの未来への失望から約5年。
私は確かに欲しかったものを手に入れました。
そして人生は私を、芸術家の道へ呼び戻しました。

私はとても戸惑い、悩みました。
日本を出た理由の1つは間違いなく、「私は日本では芸術家として生きていけない」という、ある種の夢の挫折、断念だったからです。その思いはいつのまにか、「私はアーティストに戻ってはいけない」という思い込みにも変化していたのかもしれません。
でも、気づいたら今、私は外国にいて、住みたかった街にいて、手に入れる必要があった技術、心の持ち方、そしてそれ以上のもの全てを手にしていました。―「全て」といっていいと思います。私が日本にいたら到底想像もできなかったもの、全てです。

私を不当に扱う人に何度も出会い、その度に私は、自分にはもっと価値があると認めざるを得ませんでした。
最後の難関を断った今この瞬間、目の前に突然広大な野原が姿を現しました。
そこは金色の光で満たされていました。



私は気が付きました。
今やりたいことは、制作すること。
自分の制作をすること。
これがこの地でできたら、たとえもうここに住むことができなくなったとしても悔いはないと思えるだけのことがそれであり、今、その機会が与えられたということ。
それに関して悩む必要がないことは、不当で全くインスピレーションの湧かない大量の仕事を要求をしてきた人からの多大なストレスのおかげで、完全に理解できています。―神さまはそういう用意の仕方もするのです!

この夏に沢山の素晴らしい出会いがあり、私は既にいくつかのプロジェクトにむけて動き出しています。
再び、そしてより新しい形で、音楽家とのコラボレーションであるライブドローイングパフォーマンスを、少なくとも2つ、計画しています。
チェコでの書道家とカリグラファーとの交流展も企画しています。
何より、今どうしても個人的に制作したいテーマがあります。そのテーマで、なんとか個展をしようと思っています。もちろん、プラハで。
死んでも悔いがないと思えることにしか、私は動けないようなのです。
死なばもろとも。
やるしかありません。
今、とても気持ちが晴れ晴れとし、スッキリしています。
死んでいた全ての細部が、蘇ったような気分です。


30代はどうやら、「自分とは何か」を探し、表現する過程にあったようです。
制作した本のうち2冊が自分の人生や体験を紹介する本になったのも、偶然ではないようです。
自分のルーツを探る、名前に意味があること、自分のストーリーとは?という流れ。
外国に来て外国人として暮らすことで、私とは何かというテーマは自分が望んでいた大きさの領域へと一気に拡大し、そして拡大することで私自身の仕事である「核心部を見つけること」に繋がったと思います。
今、作り始めたのは、このテーマです。

http://akacoa.tumblr.com/post/152593755823


『墨と雪』という言葉。それに突然出会い、いてもたってもいられなくなって、制作が始まりました。
黒は、私を導き続けてきました。私は常に白地に置かれる黒を愛し、またその表現が最も得意であることも知っています。
画材を木炭にしても、黒のインクにしても、それは常に同じでした。
夏に書道家の溝口呑空氏と交流をさせていただき、チェコに帰ってからは硯に墨を摩って制作をしていた私はつい先月この言葉に出会った瞬間、私という意味を再び見出しました。
「ゆき子」という名の意味。
墨が導いてきた私の人生のことを。
また、『雪と墨』とも言うそうです。
お互いに反対の性質のもののことを指す慣用句だそうですが、私はつい先日まで知りませんでした。

それと、衝動的に描いたメモのようなこれを描いているとき、文字を書いていたら文字が自然に絵に変化していく瞬間を体験しました。
このような進行は初めてですが、書道の筆を持って作っているからだと思います。
今はしばらく、この感覚を追い求めていくつもりです。

今、私が存在する理由を表現しなくてはならない。
そう感じています。