「意図を持たせない絵」という自分内領域

自分の絵が今どうなってるのか、11年ぶりの展示は私にはっきり示してくれました。
「意図を持たせない絵」が自分が創造領域で行いたいことであり、それがある一定のレベルに達したと皆さんがさまざまな知らせてくださったことは、私にとってものすごい追い風となりました。
展示をやってよかったです、本当に。こんなに成果があるとは、想像もしてみませんでした。
ご来場くださった全ての方に、心から御礼申し上げます。

 

CITLIVOST間近!

クリスティーナ・ヴェントゥロヴァーとの二人展、『CITLIVOST』の告知が先日から始まりました。

そうです!東京での展示です!久しぶりに…!!

 

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DM、めちゃめちゃ綺麗な仕上がり(だそう)です!
両面印刷で私と彼女の作品を載せています。


配布始まってますので、送付ご希望の方は住所とお名前をお送りいただければ、お送りいたします。おそらく会場でも入手できます。

 

 

私の東京での展示は2011年夏の個展が最後で、その後しばらくはチェコの留学先での制作展以外は展示をしていませんでした。
ちょっと疲れたから、というのもありましたし、やるならばきちんと何を何のためにするのか分からなくてはやりたくなかったから、というのもあります。それまではひたすら制作、ただ個展…でしたし、それを外部にアピールするという発想すらありませんでした。
が、今回はいろんな意味で、満を持して…という感じです。

まず、こちらの会場であるうおがし銘茶・茶の実倶楽部さんでの展示は、実は2〜3年前から持ち上がっていた話でした。
通常のギャラリーでの展示をする気がなかったので、お茶を愛し、お茶を広める、純粋に良いものを愛でる懐のあるこちらでの展示は、私にとっては願ってもない素晴らしい機会で、その当時は個展をする予定でした。

が、コロナ登場であえなく撃沈。

そうしてるうち、友人であるクリスティーナがついに日本に国費留学を果たし、勉強が始まりました。
彼女もずっと前から、いつかユキコと展示がしたいと言ってくれていました。
が、作品がそう合いそうもなかったので、合わないからまたにしよう。と私は先延ばしにしておりましたところ。

クリスティーナが修士課程を開始して最初に作った作品を、昨年夏、写真で見て、
「これなら、絶対に私の作品と合う!!」と確信したのです。
それで改めて、「うおがし銘茶さんで、一緒にやらない?」と持ちかけました。

 

展示タイトルである「CITLIVOST」は、実は私が思いついて彼女に提案しました。
私たちの作品や作風の接点、共通点は何だろう、どうして私はこの作品となら二人展ができると思ったのだろう…と思ったからです。
そこで浮かび上がってきたのは、双方にあるなんとも言えない、脆そうで強い、なのにものすごく敏感で繊細である、という部分が、私たち双方の作品作りにものすごく強く出ていると感じたからです。
この「なんとも言えない繊細さ」は、どこででも味わえるものではありません。
見ているこちらの神経がいい意味でチリチリしてくるような、でもどこか暖かくて安心できるような。
そして、実際に触れてみると、「意外と芯が強いな…」と感じるあたり。
これを言葉にするには…と考えていて、チェコ語の「繊細さ」という単語を調べたらこの言葉が出てきて、「あぁ、これなら日本語でチトリヴォストと書いてもすごくきれいだし、チェコ語としても美しいのではないだろうか?」と。
で、彼女に聞いてみたら、「いいと思う!」と。
いうわけで、これになりました。

 

さて、展示についてですが!
今、二人がかりで展示全体の準備を、
そしてもちろん各自、作品や販売物についても、
全力で制作中・準備中でございます!

来た方にゆっくり楽しんでいただけるように、
美しい、という感覚を心ゆくまで味わってもらえるようにと
様々な仕掛けを考えています。

うおがし銘茶さんのご好意で、メインギャラリーの他、下の階のゆっくり座れるフロアも解放していただけることになり、さらに可能性が広がりました。
私は今回、本の作品も持っていくため、
それをそちらで楽しんでいただけたら…と思います。
もちろん、ご購入いただくこともできます。

 

そのうちの一つが、2013年にチェコの留学先、UMPRUMで制作した、詩とドローイングの本、『アイ・コンタクト』です。

 

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きゅ……9年越しでついに増刷に至りました。
理由は、全ての本1ページ1ページを私が手作業で糊付けして制作するという、手仕事の膨大さからです……。
しかし、今回の増刷時、なんとか機械の製本でできないかいろんな方に相談したのですが、結局同じことをやるしかないし、それが最高の仕上がりだから、やろう!ということになって、腹をくくりました。
しかし、その手間にふさわしいだけの、アートブックです。

制作発表時に、スタジオに入れる分と私の手持ち分一冊ずつしか作る余裕がなかったので、この一冊だけで過ごしてきたのですが…

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もう原本のライフは0よ…!
てなってきてるので…

印刷!!

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すごくきれいな印刷です!!
チェコの会社に依頼して、明日仕上がり。
ここから日本に行くまでに地獄の製本作業が始まります…しかしご心配なく!わたくし、何を隠そう、製本作業が大好き。人の2倍のスピードで作業します。
あと、製本の先生に今回助けてもらうことになったのですが、その先生のことがプラハで恐らく一番好きで尊敬してる先生なので、彼に会えるだけで幸せですね…。むちゃくちゃ背の高いおじさんなのですが、常に穏やかで、好奇心が10歳のレベルで高いという不思議な人物。あまりにも好きすぎる。

内容も、日本の盟友、池田季里恵が私の絵から発想し、卓越してるのに読みやすく伝わりやすい素晴らしい筆致で書き下ろしてくれた詩と、私が感性に任せて解放したドローイングがどーん!ときれいな紙に乗った、自信作です。
会場でぜひ、ご覧いただければと思います。

 

 

作品、HPにも載せていますが、UMPRUM卒業後の7年間に描きためたものの中から、ベリーベストだけをより抜いて持っていきます。
ある意味全部新作ですが、ごく最近描かれたというほんとの意味での新作もございます。

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「インクと紙」で2016年から制作を再開していますが、
描けば描くほど年々楽しくなってきています。
しばらくはこれでバシバシ描けそう。
ずっと温めてきたコミックプロジェクトもこれでいこうと思っているところです。

 

本日はひとまずここまで…!

また書きたいこと思い出したら書きます!

ではでは、また。

苦難・苦闘・苦痛

一応、来年の5/1〜7の東京での二人展が決まりまして、それに向けての準備という気持ちにもなりつつある今日この頃、手持ちに絵がどのぐらいあるのかちょっとずつ確認を始めないとなぁ…と絵を保管していた紙挟みを開いたところ、またしてもこの10年の苦難を目の当たりにすることになった。つらい。

自分とてあまりネガティブなことを自分の絵に関して言いたくはないのだが、とにかくこの苦境を抜け出したのがつい最近であり、その痕跡の後片付け期間である今、それがどれほどのことだったか、つくづく身にしみるので、供養のためにこういう記事を書く。

この10年の苦痛とは、「描いたところで何一つ形にならない期間が続いた」点である。

その間にもちろんいくつかは、形になった絵があった。ほとんど奇跡的と言えるものだ。その十数枚程度しかアップロードしていないので、成功していたように見えるかもしれない。
その裏にはこういう、ただのぼろきれ、ぼろくその断片、何にもならなかった苦闘と苦痛と失敗の痕跡がどさどさあったのである。

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みみずののたくったような絵たち。
のたくってたのはもちろん、まぎれもなく、私自身である。
過去10年の間に作られた、こういう絵たち(または絵未満たち)を見ていると、膿み、痛み、弱り切ってエネルギーの切れた自分の覇気のなさがよく分かる。迷い、ためらい、悩んだ末に加筆を決意し、その加筆が全部失敗した絵も多く、その徒労感は筆舌に尽くしがたいものだった。本当に、形にならない絵がこうやって、たくさん、たくさんあって。

苦しかった。
とにかく苦しかった…。

こっちにきてから吸収したものと、元から持っていた、絵を描くために必要な「三次元を二次元に変換する能力」とかもほぼこの10年間失われていて、つい先月、戻ってきたことを確認した。今の私の実感としては、「10年ぶりに好きに描けるようになった」という感じである。
とにかく、学んだことを統合しつつも自分本来の持ち味で描けるようになるまで、ここまでかかったのだ。おかげでアップデートしたかったことはちゃんとできた自覚も自信もあるけれど、まだ、その消耗の回復はこれからなんだな、というのも同時に自覚している。

形にならなかったものを捨てると決意して、紙挟みからその絵たちを取り出しながら、頭の中をタイトルの「苦難・苦闘・苦痛」という単語がぐるぐると駆け巡った。
あまりにも…大変だったなぁ…。
この10年に報いられるのはこれからだけれど、疲れは疲れでちゃんとケアしよう。
そして、これからは大変でも楽しく、私が産もうとしていたものを創っていく日々を、健やかに、一歩ずつ、送っていきたい。

絵たちは、ほんとは燃やしてお焚き上げしたかったけど、紙のサイズがでかいから家ではできないし外だと野火になっちゃいそうだったので、シンプルにゴミ袋に入れました。
ありがとな。
もう二度とこんな苦しい時期が来ないことを願ってるけど、まぁでも、その末にでも残った絵はあったし、よかったと…いたしましょう…。。!

シャーロックとIQ

この歳になって、シャーロック・ホームズのシリーズを初めて読み始めた。

面白いしスイスイ読めるしこれはすごい。

すごい。

すごい…………。

なんでこの歳になるまで読まなかったかという理由がいくつかあって、それを勝手に語りたいのでブログを書く。

221b.jp

ちなみにこちらのサイトで読ませていただいている。ありがとうございます。素晴らしい。

私はわりと翻訳厨なので、翻訳が自分に合うかどうかでも決まるのだが、どうやら私の全センスがこちらの翻訳者様と合致するらしく、もう、びっくりするほどスラスラ読める。頭の中で勝手にテレビドラマが流れてくれてるみたいに分かりやすくて読みやすい。素晴らしい。
実は昨年末帰国時、文庫本で「シャーロック・ホームズの冒険」を買ってあったのだが、気に入って買ったはずなのに全く読まなかった。今、その冒頭部である「ボヘミアの醜聞」まで来たので、見比べてみると、私のセンスがどう合致しどう合致しなかったかはすぐ分かる。

例えば「ワトソン」か、「ワトスン」か。
私が買ってしまった本ではワトスンになっていたが、個人的には圧倒的にワトソンがしっくり来る。よって、サイトの方が性に合う。
あと、例えば出だし。文庫本では「あの女性」とすまして書いてあったが、サイト版では「あの女」と訳されていて、これも個人的には「ホームズが『あの女性』なんて面倒な言い方するはずがない」と感じる派なので、サイトの方と合致。
もうだめだ。この本、売ろう。

というわけで私は本を読むとき、どうしてもこういう一つ一つが感性に引っかかってしまう。
ので、このへんの合致は本当にありがたいし、私が読むにあたって、どんなに名著とされていても読めなくなることがある原因でもある。

………ということを改めて認識したために、
今から書こうとしていたテーマが的外れだった可能性が出てきた。
どうしよう。
とりあえず、そいつも書いてみよう。

というのは、何故こんな面白くて読みやすい作品を今まで読まなかったのか、と考えていたからである。

私は小さい頃から本の虫だった。
母によると、家にある絵本は、字を読んでいるというよりは読まれた内容を丸暗記していたらしい。3歳ぐらいで朗々と絵本を読み上げていたところをよそさまに見られ、もう字が読めるんですか?!と聞かれて、いえ、覚えてるだけです…と言ったらしい。これだけ聞くと天才児のようだが、要はただの本の虫である。
小学校に上がって、悪化した。毎年、なんとなく読書テーマがあって、そのテーマの本を自然と読み漁り、次の学年になるとなんとなく気分が変わるのか、違うテーマのものを読んだ。
1年生の頃は、内科医の待合室にあったアンドリュー博士の恐竜化石発掘譚の本が気に入ってしまい、恐竜の本ばかり読んだ。
2年生の時は、教室文庫とでもいうんだったか、教室の壁の後ろの端っこからもう一方の端っこまでに並んで詰め込まれていた本を、順番に全部読んだ。興味あるなしとか関係なく全部読んだ。多分私しか読んでなかったと思う。完全な活字中毒の誕生である。
3年生の時は、こまったさんシリーズとズッコケ三人組にハマった。ここからシリーズ読み、作者読みが始まる。
そして4年生の時、おそらくズッコケの流れを汲んでか、探偵モノ年間が始まったのである。
この時学校の図書室にあった、何冊もあって読みでがありそうな推理小説のシリーズは、洋物3種と和物が1種。つまり、アガサ・クリスティか、シャーロック・ホームズか、アルセーヌ・ルパン。そして、怪人二十面相である。

まず私は、これらの各第1巻をざっと読んで、何に手をつけるか決めた。
アガサ・クリスティにはあまり興味を惹かれなかった。このまま今も食わず嫌いである。大人になって読んだら面白いのかもしれない。
ホームズは面白そうな匂いはあったのだが、なんかこう「なんで二人も出て来るんだろう」みたいなとこが、ちょっと不満だった記憶がある。カリスマが一人、だだーん!と出て来る方が、基本的に好みなのである。それと、なんとなくホームズは地味に見えたというのもあった。
というわけで、一人の超絶カリスマイケオジが大活躍するアルセーヌ・ルパンに私の小4時代は捧げられた。あまりにもアルセーヌ・ルパンが好きすぎて、「ルパン三世は邪道」と言い切る小学生(面倒臭い)だったぐらい、大好きだった。
そしてもちろん、二十面相。こちらももちろん夢中になった。とにかくクッソ面白かった。
この二つのシリーズを読破し、夏休みは学校の図書室の蔵書に抜けがあった番外編などの巻を借りに遠くの図書館までてくてく歩いて通っていた。最高だった。
とにかく本がなければ死に、本があれば良い、そういう子供時代だったのである。

そして、私は常に図書室をうろついて生息していたため、子供の頃に「面白くなさそう」と思った本はその後もあんまり手をつけなかった。
それでどうも、ホームズを読まないまま来てしまったのだ。…と思っていたのだが、冒頭に書いたように「その本の翻訳が合わなかった」可能性もあるな…と思った。海外の小説を読む時、その国の言語がスラッスラのペラッペラなら問題がないんだろうが、私はできれば日本語で読みたいので、和訳がどういうニュアンスかで、一切読めない本が出るのである。一番好きな小説家のヘルマン・ヘッセも、同じ作品の違う翻訳者のものを比較して読んだことがある(オタクだなぁ)が、私は高橋健二のものしか受け付けなかった。詩の心があるのが高橋健二だけだからである。詩人であるヘッセの小説を、詩の心がある人間が訳さないと、彼の小説はとたんにただ小難しいだけの意味不明の哲学書になってしまうのである。これから読む人はどうか、高橋健二訳を読んでください。全然違うから。健二さいこう。

話が逸れました。

というわけで、「図書室にあったホームズシリーズの翻訳が合わなかった」可能性もあるのですが(確か「読みづらい」と思った記憶があるので、どこかでそういうのを感じ取ってたのかもしれない…。ルパンは申し分なかった)、
もう一つ、私がホームズをその当時に読まなかった理由が、今なら分かる気がするのです。そこが今日の本題。

IQの問題です。

大人になってから、子供時代のことを振り返った時に、私にははっきりと「14歳の夏に突然世界が違って見えた」という記憶があります。
それまでは、自分で言うのも変なのですが、ごく普通の、平均的な頭脳と知能の子供だったと思います。ちょっと本が好きなだけの、特に尖ったところもなく、将来演劇がしたいと言う友達をなんか気恥ずかしくて皆でからかっちゃって、泣き出したその子をあわてて慰めた(あとですごく後悔した)ぐらいの、ごくごく平凡で、月並みでありふれた、平均的な、ただの子供。目立つこともなく、はねのけることもなく。言われるがままそこそこに信じ込み、自分の主義主張を特に持つこともなく、そこそこ楽しく生きてきた。毎日のバレエのレッスンも、単純に楽しいや、と前向きに、何の疑問もなく通ってたのです。

それが、中2の夏休み、身長がものすごい勢いで伸び、生理が始まったのですが、おそらくその時、体やホルモンバランスと同時に、脳の中も何か変わったのだと思います。分泌物が変われば、そこから脳に違う物質がいくのは道理です。おそらくそこで私は、ほとんど別人になったんじゃないかと思います。
夏休みが明け、なんだか白昼夢の中にいるような不思議な感覚を受けながら学校に登校し、まわりを見渡して、「あれ?」と思ったのです。
「あれ?世界って今までこんなだったか?
 なんでみんな何の疑問もなく言われるがままに学校生活送ってんだ?
 大人たちの言うことの裏にある意図に気づかないのか?
 なぜ操作されるのにそのまま従う?
 今何が起きてるか分からないのか?
 それとも、気づこうとしていないのか?
 あれ?いつから、こうだった?」
と。
突然、目が覚めた、というような感じでした。ずっと寝てたんじゃないかというような。
「寝てた」間、私に自我はほとんどなかったと思います。
ところが、目が覚めた瞬間、強烈な「自己」が芽生えました。
世界は、変わってしまった。何の罪もない子供から、私は突然、この世界に放り出された未成熟の人間になってしまったのです。
そこからずっと、記憶の持ち方や思考の回し方、感性や受け止め方やアプローチは、おそらく変わっていないと思います──すなわち、なにごとも思考抜きで無条件に信じ込んだりしないこと、善悪が付与された案件はまず疑うこと、自分の意見や考えや立場が常に存在し、それと相手のそれとを両立させるコミュニケーションを本願とすること、それを守らない人間をとことん軽蔑する傾向にあること…など。
その前までの私とは、全く変わってしまったのです。
きっかり、中2の二学期から。

ところで最近のある日、友達と話してて。
その友達は子供の頃から親と合わず、結構ひどい体験をしてきたので、小さい頃からずっと警戒心があったし、この世に対する諦めがあった、と言ってて。そういう生き方をしてると、小さい頃から記憶がはっきりしてるし、周りのしてることにも疑問を持ち続けてるんですよね。子供らしくないとか、頭が良すぎると言われて育った子たちです。そういう話は他の友達や自分の母親なども同じことを言ってたので、そういうのあるよね、私は小さい時は幸せに暮らしてたからなぁ…と。いうことを。話して。いたら。私がそうなったのってきっかりその、中2の2学期から、なわけで。
「なんか、14歳のある地点で突然知性が芽生えた記憶があるんだけど、あの時私、IQ変わったんじゃないか?」と。思ったんですよね。
というのは、その友達が、昔IQテストやったら異様に高い数字だったらしくて。でも私、小5ぐらいの時に学校で受けたやつでけっこう普通にバカだった記憶があるんですよ。だから私のIQは低いと信じ切ってた。
のですが、今こうやってその子と普通に同じぐらいの頭の回転の速さで喋ってるということは、IQ近いんじゃないか、と。(IQとは何かっていうと、ものごとを連続したものとして見るための共通点が発見できるかとか、そういうことらしいですよ、詳しくは調べてください爽)

で、ホームズですよ。
元はといえば、なぜ今になってホームズを読み始めたかっていうと、ここ数年の間に読んだ本や漫画やゲームに、とにかくホームズがバカスカ出て来るから、なのです。すごい気になっちゃって。なんとなく読み逃したというだけで読んでないだけだったので、ざっくりどういう人だったかとか、なんなら警部たちの名前とかも知ってるわけですよ。でも、原作読んでないから詳しくは分からない。
ネトフリの「シャーロック」も数話見て、あーこれは好きなやつだな、原作を読んでから続きを見ようかなと止めておいて、まだなぜか読まず。
途中で冒頭のウェブサイトを知って、ずーっと「いつか読もう」とブックマークしてたのですが、まだ手をつけずで。
ついに今、なぜ手をつけたかというと、「大逆転裁判2」に入ったからです。
逆転裁判シリーズ、昔から気になってたんだけど、なぜかこの秋、猛烈に気になって、てやー!!とSwitchの逆裁1・2・3と大逆裁1・2がセットになったパックを購入。
楽しい!面白い!私こういうの好き!あー久々に探偵小説読んでる気分だ…!とめちゃめちゃ堪能していたところ、
出て来ちゃったじゃん。ホームズくん。
大逆裁の舞台ロンドンでもう思いっきり出て来ちゃったじゃんホームズくんさぁ!!
ディティールも「当時のロンドン」が舞台なために、タクシーじゃなく辻馬車だったりするわけですよ。気になってきちゃったじゃんんん!!!てなり。
しかも、原作未読の私でも知ってる、ワトソンくんはイカついおじさんのはずなのに、幼女になってるじゃぁああん!(※正確には娘設定)これ原作知ってたら絶対もっと面白いんだよな…!と思いながらもゲームを進めていって、バスカヴィルって名前まで出ちゃって、うう、これ、げ、原作の…!と思いながらもまだ手をつけなかったけど、だめだ、もう限界だ!読むね!!てことで、ゲームを一時中断してサイトにアクセスして読み始めたところ。
面白過ぎて止まらなくなったと。
いうところです。現在地点。

で、改めて原作を読むことで、ホームズくんがどういう人なのか、分かってきて。
ネトフリドラマ見た時から、あーなるほどね?と思ってたですけど、彼は「頭が良過ぎて常人の世界から外れるタイプ」じゃないですか。
「鋭過ぎて距離置かれるタイプ」です、もっと言えば。
あと自分が天分を持ってる分野において「なんでこんな一目で見て分かることがみんな分かんないの?」て思ってしまうタイプでもあって。
そこらへんが、ホームズくん見てると、分かる…ある…て思ってしまう。みんなそう思ってるの?多分そうだよね?

……違うの???

ものすごい勢いで回転してる間は興奮状態で回転しっぱなしで、その次の一週間毎日廃人状態とか。すごい分かるもん。分かるっていうか、そういう暮らし方しかできたことないもん…。
生まれ持った体が強くないし、薬物に興味がないからやらないだけで、私がホームズくんの立場だったら間違いなくコ○イン打ってるもん。分かるよ。退屈で死にそうになるじゃん。退屈をまぎらわそうとする自分がこの世に存在してる時点で死んだ方がましだなって思うじゃん。分かるよ。ホームズくんほど頭はよくないけど、エネルギー効率は一緒だよ。男に生まれてたら一通りやってると思うわ。女に生まれると、そんなことしなくても辛いことが次から次へと襲ってくるからやらなくて済んでるだけだもん。よかったよほんとに。ある意味退屈じゃないからね。体調不良で。月に一回生理があるおかげで人生丸40年ぐらい損するからね、薬物いらないんだよね。ホームズくん、次の人生は女性をおすすめするよ。どう、想像するだけで死にたくなるだろ?今わたしなってる。生きてるだけで褒めてほしい。以上です!

何の話?

そんなわけで、14歳以前と以後の自分が「ほぼ別人」なので、今の自分が読んだらただひたすらめっちゃ面白い小説だった、というお話でした。

いやでもねー。ほんと、嬉しくて。
この歳になってまだ、こんな夢中でガンガン読める小説が存在していた、ということが、ただただ嬉しい。探偵小説ブームが小4でよかったー…。自我が芽生えた後だったらもうとっくに読み終えて読むもんなくなってたじゃん…。良かったのかもしれません。なんかこう…そういう運命だったんでしょう。きっと。
ホームズ読んでると癒されるんだよな…。頭がいい人が生きてるだけで(生きてない)(いや生きてる)癒されるし、めちゃくちゃでもいいんだな…人生なんて…て思えるし…。なんかこう、ギリギリのところでモラルは生まれ持ってて崩れないところがいいなとも思う。犯罪者の心理を一刀両断に切り捨てるあたりも好きですね…。
とりあえず、サイトの方で全部読み終わったら、次は原文をどっかでダ読もうと思います。本当にこのサイトさんありがたいです。。本当にありがとうございますありがとうございます…!!
もしシャーロックに興味あるけど未読って方は是非。お勧めです。

もう一回、感謝のリンク貼り。

 

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あと唐突に貼っておく、今描いてるやつの断片。
まだ今年使い果たした生命力のリチャージに失敗し続けてまして、本腰が入れられなくて困ってるので、来週末に休暇に行ってくるので、そこでチャージできたらいいな…。できる予定…です…!作りたいものがいっぱいあるのに…。。コロナのせいで休暇なしの2年間になってしまって、予想以上に消耗してしまいました。休暇の大切さを学んだ2年間であった…

チェコ・単身者・個人事業主の永住権申請手続き記録

どうもこんにちは。
この度めでたくチェコ共和国での永住権申請を終えましたので、
その事情と方法などをメモしていきたいと思います。

チェコに家族もパートナーもおらず、雇用者もいない個人事業主という、完全に何のバフもない状態で永住権を取得というのはおそらくかなり珍しく、同じことを目指している人に情報が行くといいなという目的もあります。
ので、ざざっと自分の状態を説明しながら進めていきます。

 

○必ず毎年、必要条件の確認を。

誰しもそうですが、全ての人にとって、条件は完全に同じではありません。自分の場合に何が必要なのかは、その人の出身国・最終学歴・チェコ国内での雇用形態・家族の有無などで、まったく変わってきます。
また、もちろん年々、必要な条件が変更になっていきます。例えば保険の額は保険会社によって毎年変わりますし、その年の確定申告の金額でも変わります。「1日に必要な最低生活費」の計上(経済力証明に必要な最低額)も、単身者が一番高く、二人住み、三人住みとなるにつれ一人あたりの値段が減ります。このへんもそれぞれ計算しなければなりません。私は毎年税理士さんに事情を話しデータを渡して、確認してもらいながら確定申告をしています。
ですので、このへんの情報は必ず毎年確認して、自分が申請するときに必要な条件を必ず満たすようにしてください。

www.mvcr.cz

はいここ!!!
隅から隅まで読むように!

 

○私の場合の前提条件と経緯

私はまず最初にプラハでの大学院(MgA)留学があったので、その時点で労働許可証が必要ありませんでした。ので、大学院卒業後、そのまま学生ビザから、個人事業主としてのビジネス長期滞在ビザに「切り替え延長」申請をすることになりました。
その際、ちゃんとした必要条件を、申請先である外国人警察ですらも誰も把握しておらず、2年間の間何度も関係役所に謎の書類を取りに行っては警察に提出する、ということを繰り返した挙句、あっちの謎のミスで3日間しか有効じゃない「長期滞在ビザ」が出たことがありました。さすがの私でも心が折れるのではないか…と思われたのですが、なぜか「やってやる」という気持ちになり、謎の直感が働いて違う外国人警察にメールしたところ、私は「特別窓口」の扱いでしか適切に扱えないケースだということがわかりました。プラハで申請する個人事業主の皆さんは、Pobyt Letnáに行くということを覚えておいてください。一応英語も通じます。メールでアポイントを取ってから行きましょう。あそこに行けば全てが解決します。今の滞在期間の計上などもしてくれるので、事前に必要なことは問い合わせましょう。
私は、まだ制度が整いきらない2017年秋にたまたま探し当て、その「3日間の長期滞在ビザ」直後に全く同じ書類を持ってそこに行って提出したところ、あっさり発行されたという経験があります。Letnáに行きましょう。Letnáありがとう愛してる

 

 

 1. 個人事業主の永住権申請に必要な書類

では、個人事業主(OSVČ)が長期滞在ビザおよび永住権を獲得するのに必要な書類の一覧です。

  1. 住居証明 - 家の契約書と今までの全延長書類
  2. Platební výměr -FÚ
  3. Potvrzení o bezdlužnosti 四種…FÚ, ČSSZ, VZP, Celní Úřad と、ČSSZ, VZPの各支払い一覧の紙(Vyúčtování záloh)
  4. Dáňové přiznání (確定申告時にもらってるやつ)
  5. Zivno有効書類
  6. チェコ語能力試験の認定証 ※実は一番最初に必要
  7. 2500コルナのKolek
  8. 顔写真2枚(証明書サイズ 3.5 x 4.5cm)

一つでもなければ申請できません。がんばりましょう。そしてうちの区は役所で一言も英語が通じません。100%チェコ語です。でも最低限のチェコ語能力と根性とハートがあればちゃんとできます。一人でがんばって行くとみんな優しくて、それでなんとかやってこれてます。なのでがんばりましょう(二度目)。

それでは各書類の説明です。

1-1. 住居証明

これは長期滞在ビザの申請でも全く同じです。
違うのは居住証明の年数。
長期滞在ビザは最長2年まで出るので、大家さんに頼んで2年先までの住居の契約書を出してもらい、提出します。契約を更新して住み続けてる場合は、今までの延長の契約書類を全て提出します。永住権は10年先まで契約書作るのもおかしいからなのかなと思うのですが、その期間住むべき場所の契約書…などは特に要求されませんでしたので、多分不要かと。
私はたまたま同じフラットに住み続けているため、入居した時の契約書から今に至るまで全ての「契約延長書」(Dodatek)を提出する必要があり、毎回役所の人が書類をひっくり返して確認してます。そうでない人はとりあえず今の家の契約書が有効期間内ならいいんじゃないかな。

1-2. 経済力の確認書類

個人事業主の場合、チェコでの確定申告書類が必要であり、かつもう一つ必要な書類があります。確定申告書類であるDáňové přiznáníと、その確認書類であるPlatební výměrです。両方とも、自分が住んでいる地域・区のFinanční Úřadで申請します。

1-3. 借金・滞納してません!の各種Bezdlužnosti

こいつを獲得するために各役所をめぐる必要があります。がんばりましょう(三度目)。
あなたの居住区の税務署(Finanční Úřad)、社会保険(ČSSZ)、Celní Úřad(税関…?日本語だと何なのかいまだに不明)、そしてVZP(普通の健康保険)の4種です。必ず4種とも必要です。

各役所での書類獲得方法を以下に述べていきます。
ただし、お住いの地域の警察や役所の事情で、手順や手はずはそれぞれ少しずつ違うかもしれません。あくまでも私の居住区における方法ですので目安程度にどうぞ。

ちなみに「Vyúčtování záloh」は、毎年送られてきてるはず。ない時もあるので(うちはなぜかVZPは毎年送ってくれない)、その場合は支店でついでに出してもらいましょう。

・FÚ
上記の通り、確定申告して追加の税金を支払った後、Platební výměrを出してもらう必要がありますので、一緒に申請します。
2017年の時は別々で私の担当の人の部屋まで頼みに行かないとダメだったのですが、2019年には一階入り口付近の受付(Pokladna)で全部できるようになり、今回2021年は担当の人がコロナ対策のため下まで降りてきてくれて引き取りも一階でできました。さらに言うと、申込書も一枚で済みました。めちゃめちゃ楽になってる。

私の区での申請方法は、その所定用紙に必要な書類のところにチェックを入れ、個人情報を書き、引き取り方法に関してはうちの区の郵便局が頻繁に郵便物を紛失するクソシステムのため「直接受け取りに来ます」という意味の「Osobně」にチェックを入れておくと、電話番号あてに「書類準備できましたよ」とSMS通知が送られてきますので、それ見て直接行けば最速かつ確実に受け取れます。お住いの地域のポシュタがクソな場合、必ずこれを選択してください。

ちなみに書類できたよ〜の通知は大体2、3日で来るのですが、月曜と水曜しか役所が開いていないというおなじみのシステムのため、確実に手に入るまで一週間は見た方がいいです。私が申請を初めてした頃(2015年頃)は「二ヶ月ぐらいかかる」とか言われていました。が、実際はいつも、長くても10日ぐらいで出てたと思います。個人引き取りが一番早いのです。

さらにちなみになのですが、他の区でそうなのか私は知らないんですけど(多分同じですよね…)、名前のアルファベット順で担当者が割り振られているため、必要な書類は基本的にその人に申請し、その人から受け取るし、知らせもその人からくる、というシステムです。
私は何故か今回(2021年)だけ担当者の名前の入っていない通知を受け取ったのでよくわからなくなり、入り口でガードマンのおっちゃんにまず何をしに来たか説明して呼んでもらうんですが、「担当者の名前は?」「それが分からなくて…でも多分いつもの○○さんです」「じゃあの部屋だな」Prrrr...「すみません今担当のものが席を外してますが、本当にこちらです?」「だと思います、でもSMSに名前がなくて…」「あーなるほど…、…あっ一枚ありました…待ってください、もう一枚も探して今持って行きます」と、なんと同室の別担当の方が持って来てくれて、内容確認と引き渡しのサインなどを執り行ってくれました。ありがとう同室の人…。なんかうちの区の役所はおしなべてチャーミングなんです…好き…

・ČSSZ
コロナ以前は「Bezdlužnosti」のOSVČ専用窓口があったのですが2021年夏の現在はそれがなくなっていて、聞いたら受付カウンターにある専用申込書に必要事項を記入してPokladnaに提出すればOK。受け取りはやはり通知が来て(こちらはメールでした)、着いたらまず内線(メールの下部に電話番号が書いてありました。よく見てなかったので、ここよ!!て教えてもらいました…)で担当部署に、受け取りに来たんですと電話をかけます。そしたら一階まで渡しに降りて来てくれるので、そこで確認しサインして受け取り完了でした。以前は窓口に出来上がった書類がファイルされていて、そこから渡してもらっていたので、コロナが落ち着いたらその方式に戻るものと思われます。

発行まではとても早い方で、だいたい翌日には通知が来ますが、やはり月曜と水曜システムがありますので、一週間は見ましょう。ちなみに私はチェコの役所でキリキリ舞いし続けて来た経験の結果、一ヶ月前には必ず全部の申請を開始して終えるようにしています。1ヶ月あれば郵便事故やなんかがあってもなんとか取り戻せるからです。心安らかに暮らしたいなら、早めに動く。それがこの国での鉄則。泣いても暴れても文句言っても、出ないものは出ません、それは早く動かなかったあなたのミスになります。だからがんばりましょう(四度目)。

・VZP
みんな大好きVZP。(?)ここだけは、行った日にすぐ証明を出してくれます。大好き。パスポートか滞在証明カードと今の保険カードを出して、Bezdlužnosti必要なの!といえばすぐ出してくれます。本当にありがとう超助かる大好き。

・Celní Úřad

ここが一番時間がかかります。というのは、「14日以内に郵送」以外の方法を一切受け付けていないからです。謎システム。従うしかありません。というわけで、早めに行きましょう。こちらも以前は必要だった100コルナの手数料がなぜか撤廃されていました。謎システム。窓口で必要書類に記入して提出し、オッケー!て言われたら終了です。
郵送も、ポストに勝手に入ってる普通郵便ではなく、サインして受け取る手渡しの方で来ますので、ご注意。くそ郵便局エリアにお住いの私としては毎回、そろそろ14日だ!という頃に郵便局に凸して「手紙来てませんか!!」と言うと出てくる、というシステムを長年採用してたのですが(不在票すら入らない状態だったので)、今年は改心したのか、なんと10日ほどで届けに来ました。絶対に郵便局はまだ来ない、と思っていたのでいたずらかなと思って呼び鈴鳴っても出なかったのですが、次の日ポストを見たら不在票が入っていて、神か????てなりました。やればできるんや…ありがとう……普通のことがありがたくなってくる国・チェコ………

 

1-4. Dáňové přiznání (税金申告時にもらってるやつ)

最新の確定申告時の自分用の控えを提出すればOKです。

1-5. Zivnostenský Listの有効書類

提出時点で有効期限が足りてるものを出します。長期滞在ビザの有効期限までがZivnoの有効期限なので、今永住権に挑める生活をしてきたのならば当然足りているはずです。そいつを出しましょう。

ちなみに私は2016年頃?、うっかりミス(何しろ2年間ビザが出なかったため、三ヶ月に一回外国人警察でブリッジビザをもらい登録役所に更新に行くという往復地獄で疲弊していたある日、うっかりをやらかした…。)期限が切れて10日後に役所に行ったら、手遅れだよ…と言われて、私のチェコ生活終わった…となったことがあったのですがなぜか終わらず融通してくださることになり、大使館にかけあっておおいそぎで二ヶ月以内に無犯罪証明書を取り直して提出し、今に至ります。ありがとう…チェコ…どうなってるのすごい…。。皆さんはこんなことがないようにしてください…。

1-6. チェコ語能力試験の認定証

・既にチェコ語の語学学校に通ってた方はその修了証でOKだそうです。そうでない人は、外国人警察に「永住権申請したいのでバウチャーを発行してください」とメールして予約をとり、書面のそのバウチャーを取りに行きます。バウチャー自体は無期限ですので試験日未確定でもとりあえず申請予定があるならもらっといていいです。ちなみにこの無料バウチャーで試験を受けて落ちた場合、2回目以降は有料です。なので出来れば一回で取りましょう…!

・それと、警察に聞いたら「まずチェコ語試験の証明を取ってから申請なんだよ、それがないと申請できない」って言われたので、そうなの?!それどこにも書いてなかったね?!じゃバウチャーください!!てことですぐ出してもらって学校に問い合わせたのです。
なので私は今回、バウチャーをもらって問い合わせて試験を予約してから、試験日から逆算して一ヶ月前頃から他の必要書類の手続きを始め、全部揃った状態で試験を受け、そのまますぐ申請できるように準備しといた、という流れでした。
なのでまず、書類手配の前に学校で試験日の予約をしましょう。
メールでアポを取ったらバウチャーとパスポートを持って学校に行き、事務室で正式に手続きして確定です。

私が予約を取ろうとした時は、HPから探せる学校は全て日程が埋まってましたが、学校に直接問い合わせを…みたいなこと書いてあったのでメールしたら空いてる日時教えてくれて、バウチャー入手から二ヶ月後に受験できました。

また、コロナ事情の関係で、試験対策ページ上部に「試験の日までにPCR検査を受けて証明書を提示すること」と書かれていました。メールなどでの通知は一切ありませんでしたので、どんな時でも一応Webページを確認することをお勧めします…。詳細を学校に問い合わせたところ、旅行用のCertifikát(有料、250CZKくらい)は不要で、検査後に携帯に送られてくるVýsledekを携帯画面で提示するだけでOKとのことでした。(SMS画面かリンクからダウンロードできるPDF)試験当日朝にレジストレーションする時に画面を見せてOKでした。
ちなみにチェコでは、2021年6月頭から、月二回まで「確認のためのPCR検査」が無料で受けられるようになりました。それで予約して行ったら、必要なら旅行用の書類も追加の発行料のみで出してくれるようでした。すごいシステム…ありがてえ…ありがてえ…。便利ですよねぇ…

・テスト内容に関しては、上記公式ページから行ける準備ウェブサイトがありますので、使いましょう。模擬試験や対策問題集もあって、めちゃ親切です。レベルはA1なので、チェコ語クソ雑魚レベルです!という人でも長くチェコに住んでればまぁ普通に分かるのでは、ぐらいのレベル。
ただし、人によって読み書きの方が得意な人と、聞く・喋るの方が得意な人とに分かれるみたいです。例えばずっと外やお店で働いてる人なんかは、聞いたり喋ったりの方が得意で、文字は苦手みたい。
私はといえば普段チェコ語喋らない在宅ワーカーのため、どうしても読み書きの方が得意でリスニングやスピーキングは緊張したり、一部分からないところがありました。また、日本人耳をしているので、永遠にわからない聞き取り問題があり(ČとŤは両方チュにしか聞こえないしŠと軟音のŘは同じシュの音にしか聞こえないしおなじみのRとLも単品で言われたら私は聞き取れず完全に詰んだ)、そこが出たら捨てるしかないな…と絶望しましたが、そこ取れなくても他で取れます。なんとかなる。

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私が受けた日のタイムテーブルです。のんびり行ったので、午前のライティング・リスニング・リーディングを合格した人が受ける口頭試験が最後の枠の17時からでしたが、むしろ帰宅してお昼食べて昼寝して戻れたので普通によかったです。なんとか合格できた(先生たち優しかった…)ので、5分後ぐらいにすぐ合格証明を出してくれて、完了です。うれしい…。。嬉しかったです。。

補足メモ、私のチェコ語能力について。
私は大学院が忙しい上に英語コースだったため、チェコ語は個人の先生のとこに通ってA2レベルまで教科書を終えていたのですが、資格試験を受けようか…というところで卒業制作が忙しくなったりで結局取らないまま社会人生活に突入したっきりそのままになっており、だいぶ雑魚だけどクソ雑魚ではない、ぐらいの能力値。
でも試験問題は全般に、毎日の生活で使う内容ばかりです。道を聞くときや、駅のアナウンス、買い物で使うシチュエーションや医者の予約の電話、友達にメールを書くとき…など。普通〜に暮らしてればなんとかなる感じです。反対に日常で一言もチェコ語を喋らない、という人にはさすがに無理だと思います…。A1ぐらいならすぐ習得できるので、学校通ってみるか、独学して試験を受けていいと思います。
 

1-7. Kolek

切手…?…なんていうんだっけ日本語で…。為替切手…?まぁとにかく「2500コルナ分のKolekください」と郵便局に行って買ってください。
私はいつも買うのを忘れて、書類確認してもらってる間に近所の郵便局に買いに行きます。今回もダッシュしました。何をしてるんだろうな…。ちなみにちゃんと公式ページに書いてあります…。値段は変動するかもなので都度ご確認を。

1-8.  顔写真

駅とかにあるスピード写真で「チェコの証明書用」を選んで撮ればOK。切り取って持って行きましょう。
長期滞在の申請ではいらない時もあったので持って行かなかったら、写真は?て言われて、翌日撮って持って行きました。永住権では必須みたいです。ぬーん。

2. いざ申請

必要書類が揃った?すばらしい。さっそく申請しましょう。
いつもの緑のアイツ(申請用紙)にざくざく記入しましょう。
普通に書いたらOKです。

あとは警察にメールして予約を取り、全ての書類をお渡しして確認してもらい、「今日受け付けましたよ」という紙をもらって連絡を待つだけです。うおーん!!待つ…。。

・ちなみに、申請時、受け付けてくれた人から「こないだテストを受けたと思うけど、確認なので…」と抜き打ちで口頭のチェコ語のテストがありました。私が当日謎に緊張して、手続き中に何度も聞き返してたからかもしれませんし、所定のテストなのかは分からないのですが…。内容はほんとに簡単で、今朝起きた時間とか何食べたとか、今着てる服の色とかです。かえってそれのおかげで緊張がほぐれたぐらいなので、心配ないのですが、長期滞在ビザ申請時には一度も聞かれなかったことだったので、「やっぱり、永住権って…特別なんだな…」とふと思った次第でした。

申請書の一番上にある「永住権」のところにチェックを入れる日が来るだなんて、来た頃には想像もつかないことでした。いつも、そんな日が来るのかな…と思いながらその下の長期滞在のところにチェックを入れていた。やっぱり、感慨深いです。私の場合は学生期間を半分で計算される決まりの上に、ビザ待ちだった卒業後の2年間まで学生で計上されていて、去年でようやく満5年の計算になったのにコロナで「不要な人間は来ないように」とあったため、今所持してる長期滞在が切れる今年まで待ったのです。滞在9年目にしてようやく申請できました。長かった…。

・書類小噺。今まで親の職業とかのところを私、英語で書いてまして。誰に言われたかわからないけど、英語でいいって言われて最初に書いたんですよね、それでそのままその後もそこだけ英語で書いてたんですけど、今回書いててふっと申請書読んでたら「チェコ語で記入するように」て書いてありまして。あれぇ?てなりましたね…。……。こんな感じでも毎回問題なく通ってますのでご心配なくね…。それより大事なのは経済証明とか他のやつのほうだから…マジで…。
いやでもこれは、ほんとに。ちゃんと税金払って保険料払ってれば、国が外国人を拒否する理由なんてないんですから。きちんと所定のお金を払いましょう。変動した価格も補って、負債のないように。それで大丈夫。一つずつの手続きをめんどくさがらないこと。私たち外国人は、手順を全て踏むことで、どこの誰だかもわからない身分を保証してもらえるんです。期限遅れたり、支払わなかったり、書類や手続きをめんどくさがるなんて言語道断。ちゃんとやりましょう。お互いのためです。

 

3.  待つ

オッケーでも不可でも、30日以内に処理される…と書いてありました。……待ちます………!!!

 

 

以上です!!!!!!
申請する人いたらグッドラックです。

お疲れさまでした!!!

 

 

 

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試験終了後、1年ぶりに飲んだ生ビール…

美味しかった……

 

 

 

・追記

8/12、確定しました。
いつもなら窓口で聞かれてセーフだったVyúčtování zálohを出し忘れてただけだったので、「書類足りませんよ」の手紙が来て再提出し、それを待ったので結果二ヶ月近くかかってしまいましたが、1回目の通知は予告されている通り30日以内に来ましたよ。
通常のビザが、いつもだいたい二ヶ月は待たされてたの考えると、永住権はなぜか速いんですね…!

金色になった傷口

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人生、落ち込んでしまうことも沢山ある。

私は去年、すごく楽しいことも、がんばったことも、悲しかったり悔しかったりして動揺したこともあった。
私は動揺したり、体調がよくないのに頑張ろうとすると、昔は自分の体調が壊れて動けなくなっていて、それが治ったら今は、ものが割れるようになった。
それで去年は大切な、絶対に失いたくない陶器が3つも割れてしまった。
ここにない、修復不可能な砕け方をしたガラスのカップを含めばもう少しある。

急須は、知り合いの方からいただいた大切なもので、絶対に失いたくなかったし、すごく綺麗に真っ二つに割れた。
カップは、母が日本から送ってくれたもので、これも絶対に失いたくなかった。それに、複数個に割れてはしまったけれど、粉々にもならずかなりパカっと割れた。

小さい頃に姉妹で使っていたカメさんのかわいいお皿も、棚に眠ってるの勿体無いな使うよ!とチェコに持って来た矢先、端っこだけなぜか割れてしまった。

というわけで、かねてからやってみたかった金継ぎセットを日本で購入し、持ち帰って、この冬やっと着手した。

 

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金継ぎはすごく時間がかかる。

まず、継いだ麦漆の「乾燥」には湿気が必要、つまり漆は湿気で硬化する。
そしてチェコのカラッカラに乾燥した冬。
うん。まずいね。
なので、段ボール箱に湿ったタオルやキッチンペーパーを置いて湿気を絶やさないようにしながら、丈夫に接着したければ一ヶ月ほど待たなくてはならない。長い。
2週間ぐらいでもいいそうだけど、丈夫になってほしいから待った。カレンダーに登録して待った。

そして、はみ出したとこを彫刻刀などで削り、平らにして、欠けた部分にパテにした錆漆をつけて埋め、それもさらに何日か乾燥させる。
それをまたきれいに削ったりやすったりしてから、弁柄漆というやつを面相筆でスーッと「傷口」に引いていって、それがええ具合に乾いても湿ってもいない時に金の粉を蒔くのだが、このタイミングが鬼すぎる。
急須は大切なもので妥協できなかったので、三度やり直した。。
今乾燥を待っている。

 

で、こんな感じに。f:id:jukiko08:20210427174424j:plain

かっちょいい。

かなり、いやすごく、かっちょいい。

 

何より、割れてバラバラになったりしたものがちゃんと戻ってきたという、驚き。
深く、修復不可能に割れたはずのものが、金色のかっちょいいラインを携えて生活の中に戻ってきてくれたという、すごさ。

これは、新感覚だった。

私は精神力は恐らくS級だけど、心は普通にガラスである。C級だ。
うつわを割ってしまうと、おいらの心のガラスも一緒に砕けていた。
つまりきっと、割れる時というのはそれを象徴してくれてるんだと思う。割れる時はいつもそういう時だから。

前までなら、割れたらもう、あーあ割れちゃった…と悲しみをこらえて、見ないようにして早めにゴミに捨てるぐらいしか方法がなかった。
でも、金継ぎセットを購入できるという素晴らしい世界になり、実際に自分の大切な器を継いでみて、それを普通にまた生活の中で使い始めたとき、新しい感覚が生まれた。

この器たちは、自らがパーンと割れて使い物にならなくなってしまった傷を、そのまま持ってる。
その形のまま。持ってる。それを成形したりすることなく、逆にそれ以上割るわけでもなく、ただ、割れてしまったという事実のまま、かっこいいライン持ちになって戻ってくる。そしてまた、生活の中で生きて活かされていく。

一度割れたらもう終わりだと思ってしまう人というのは、いる。完璧主義の人、自分のやり方しかわからない人。私はそのタイプ。
でもヨーロッパに来て少し変わったのは、「個人個人が違うのは当たり前なんだから、話し合いをして変えていけばいいし、合意できなければそれも仕方ないよ、個人だもの」という考え方。だから、喧嘩したり、悪いことしたりをどちらがしても、話し合いができれば解決ができる。これは、割れたと思った器がもっとカッコよくなって戻ってくる感覚に近かった。もうダメかな、と思った時、何度も折れずに済んだのは、こっちの友達のおかげだった。

そして今年、実際のうつわを自分の手で時間をかけて継ぎ、傷跡をそのまま持って美しく輝いている器を見て、もちろんそれを食洗機に放り込んだりしないし、金剥げてきてないかなーとチェックしたりともっとずっと注意を払うようになったり、時間がかかると分かった以上まず割らないことが大切!なので、ショックを受けたり傷ついている時に「私は割らないわよ!!!」と宣言すると、割れない、ということが分かった。(欠けてはしまったが…。)こういう時はちなみに料理中の不意の切り傷も作りやすいので(精神的には分かりやすい自傷の一つらしい)、切らないわよ!!!!と宣言するとこれも、切らない。

つまり、落ち込んだ時、ショックで辛い時に、無理に普段通り動かないようにするというチャンネルが、長年の苦節を経てどうやら、私に、なんとか、実装されたらしい。。

にっぶ…。

にっぶいねん…本当に…。

はー……と落ち込んでしまう今ではあるが、
それでも、継いだ器がカッコよく
今日も堂々としているから、
これに恥じないように、自分をちゃんとケアしながら、生きていきたいと思う。

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器を継ぐのに、やり直しなんかもしてると2〜3ヶ月ぐらいかかってるわけなんだけど、心の傷も、ほんとはそのぐらいかかってるし、そのぐらいかけてあげるべきなんだろうな。と思うのでした。

2020年12月→2021年年始 一時帰国体験記

前提:
チェコ共和国・プラハ在住の日本人が、2020年12月初旬に日本へ一時帰国し、翌年1月4日にプラハに戻った際の記録です。
空港、旅客機内での旅、日本とヨーロッパ両方を体験しての感想などの記録です。あれこれまとめて書くので、長文です。

 

・事前準備

とにかくビビり倒しながら決断しました…。
年末年始を家族と過ごすために今年も帰省したく、しかしこの状況なので11月頭に丸一週間朝から晩まで悩み倒して、悩みすぎて死にかけましたが、家族が受け入れると言ってくれたことで決断に至りました。決断した後の方が調べるべき情報が狭まるため、いくぶん気は楽でした。それは「欠航になったら終わり」という賭けでもあるんで完全な安全ではないわけですが、決めなければ永遠に決まらない…というのと、コロナ理由の場合は全額返金されるだろうという見込みの元、さらに万が一を考えて日時変更とキャンセルが可能な便を予約することで解決しました。

まず、現時点でまともにヨーロッパから日本へ飛んでる便がKLM /Air Franceのみで、他にはドバイ経由も飛んでるようですが、プラハ→アムステルダム→日本、が一番短いし慣れているルートでもあるのでこれに決定し、KLMのサイトで予約をしました。
トランジット時間を長く確保すべきかをじっくり考えたのですが、どう考えても、もし自分が知ることもできなかった理由で足止めを食うとしたら空港での数時間の誤差でカバーできるとも思えなかったので、思い切って行きは乗り継ぎ時間が1時間10分のルートにしました。結果的には正解でした。というのは、そもそも飛ぶ便数が少ないのと、マスク関連のトラブルなどを予想してか、かなり搭乗時間が早めに設定されていて(いつもより15分ほど早かった気がします)、しかもこの状況下で飛行機に乗るような客というのは旅慣れてる人ぐらいなので全てがスムーズに進行し、全て揃った時点で離陸しちゃうので結果30分早く到着した、なんてことがざらだったからです。いつもなら遅延も考えないといけないんですが、今の状況でだけはその心配は一切不要でした。復路は、最短だと乗り継ぎ時間が50分だったので、さすがに不安で二番目に早い5時間弱の方にしておいたのですが、やはり早く到着したため、50分でも十分だったな…と思いました。まぁ、こんなことはとても予想できなかったので仕方ないです。

11月の予約前の時点で最悪の状況はあらかじめ全て予想し、その対策を手配し、大丈夫そうだと踏んだところで航空券の購入に至りました。
予想した最悪のシナリオは
・その時点では日本は低感染リスク国に指定されているので11月時点ではPCR検査なしで行き帰りが可能だが、12月の渡航時や1月の帰国時にはこれが変更になり、検査が必要になる可能性がある(日本側からのルールでそうなりました;1/8。)
・それがいつ変更になるかは全く読めない。もし往路(日本行き)前日に変更になったら、検査が間に合わない→渡航できない又は日時変更。または、いざ渡航したら条件が変わっていてトランジット国で日本人通れないよみたいになってたら(前例が一回出たらしくて、チェコ渡航の日本人には注意喚起が出ていました)どうにもならん…という恐れ
・帰路であれば、成田にPCR検査センターができたので一応帰国時必要になってもそこで可能だが、恐ろしい金額(自分のフライト予定だと時間外料金になるため、英文証明書つきで4万6500円…)

・最悪、日本から出られなくなったり、チェコへの入国ができなくなる。ただ冷静に考えて三週間でそこまで変わる可能性はかなり少ない。ヨーロッパはおおむね長期滞在許可証所持者は普通に入国できるので。が、飛行機の事情で欠航が出たりした場合、予定がズレることはあり得る
・もし万が一予定通りプラハに帰ってこれなくなった場合、飼ってるモルを信頼して預けておける人に預けなくてはならない

とにかく、毎日条件が変更になるような状況下ですし、ただでさえ空の旅というのは不安とストレスがあるものですから、それに加えてこのコロナというセンシティブな条件下、気にしなくてはならないことや、事前に考慮に入れて対策を打たないことの数があまりにも多すぎてもうだめだ渡航やめようと何度も何度も思い、家族にも親友にも弱音を吐きました。が、友人の協力により条件の確認方法がわかってきたので、心が落ち着いてきました。
具体的には、KLMでのトランジット国であり、EU入管口となるオランダの日本大使館のHPを毎日欠かさずチェックしました。チェコにおける日本関連の情報は大使館からメールが来るので、そちらでチェックできます。もちろん英語での公式HPの案内もチェックしていました。ここで「トランジットだけなら検査結果不要」を毎日確認しました。渡航前も帰国前もずっとチェックしていました。日本が安全国に指定されていることが、ほとんど奇跡としか思えないくらい今、世界中のほとんどの国の人がPCR検査陰性結果が必要なのです。奇跡としか呼べない状況だと、強く実感しました。

モルは、いつでも預かると言ってくださってた先に急に断られて途方にくれ、やっぱり一時帰国は無理なのかな…と折れかけたのですが、母に励まされてペットホテルを探したところ、最高のペットシッターさんを見つけることができ、心からホッとしました。言い方が悪くて申し訳ないんですが、チェコ人とは思えないほどの信頼感と責任感にあふれたプロフェッショナルな人で、いやもう…これ一番の奇跡起きたのでは…と。いやほんとすいませんね…でも事実なので…。。完全に奇跡の出会いでした。とにかく、これでやっと飛行機のチケットを確保に至りました。もうあとは、腹を決めて渡航するだけです。

・往路、無事渡航。

渡航日までに条件が変わらなかったのですが、それでもなんとなく半信半疑…みたいな気持ちで空港へ。大きなトランクを持っているのは道中私一人で、対策も十分にして決死の覚悟で来たにも関わらずなんだか悪いことをしているような気持ちになって、行き道のメトロやバスでちょっと泣きそうになりました。もちろん、誰も私を咎めたりしないとは思ってたのですが、そのぐらいプレッシャーを感じていたのです。

空港に到着すると、まったく見たことのない、ガラッガラの電光掲示板にさすがに衝撃を受けました。

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人の少なさは予想はしてましたが、電光掲示板を見たときの衝撃の方が大きかった。いつもはいくつもの出発予定で溢れている電光掲示板が、明日の朝まで合わせても10本程度とは…。信じられない光景でした。
私の搭乗時は、KLMで提出するオランダへの健康報告フォームはオンラインチェックイン時に組み込まれていたので、紙で提出する必要はありませんでした。日本で入国時に検査があることと2週間の自主隔離の必要があることをカウンターで確認され、荷物は重量をほぼ気にすることなく通りました。
このとき気づいたのは、乗務員たちがすごく落ち着いていて優しく、余裕があることでした。いつもならもっと厳しくチェックしたりするものですが、口調が柔らかく丁寧で、たまたま優しい人に当たったのかな…?と思いもしたのですが、この後実際搭乗してみると全く同じ様子で、笑顔で落ち着き払っているのです。客数の少なさと便数の少なさにより、ストレスがおそらく非常に減っているのだろうと思われました。
もう一つ気づいたのが、「観光客がいないとこんなにラクなのか…」ということでした。もちろん観光客が悪いと言ってるのではないんですが、ただなんか、不慣れな人ほどよく分からない場所でよくわからないゴネ方をしたりするもんなんですけど、そういうのが今回は一切なくてスッスッと皆乗っていくし、飛行機の中でも人の邪魔にならないように気をつけるポイントとかがだいたいお互い分かってるのでササッスッみたいな感じで済むし、めちゃくちゃ…楽で…。。ノイズが減ってる感じで。いつもこうだったらたとえ満席でもストレス少ないだろうなぁ。それが客数75%減で運行してるもんだから、行きは皆速攻で一人一列占拠して横になってて、もう楽チンオブザイヤー受賞でしたわぁ…。機内も3分に一回換気されてる上に換気フィルターでは花粉やウイルス類が99.99%カットできるんですって。いやすごくない?こんなことになるまで全然知らんかったわぁ…。

ご飯もおいしかったです…!もう全部あらかじめパックされてて、保存がきくせいかホットミールはパスタ、着陸前のホットスナックはホットチーズクロワッサンなど固定で、めっちゃ美味しかった。これでいい…これでいいよ…。。十分。。あと人数に余裕があるせいなのかコーヒーがちゃんとフィルターコーヒーで、うえーんうれしい…!!てなったよ…ありがとうKLM。

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あとこれは、いつもだと途中で腹減ったらおやつとか飲み物を後ろに取りに行くじゃないですか?それ来んなってことで、あらかじめおやつ一式セット+コーラが配られましてね…!これ画期的じゃない!?いやこれでいいよもう…いつもこれでいいよ…!!おいしかった😭オランダのワッフルクッキーめっちゃ美味しいですね…!

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2020年、どこにも旅行に行けず、外出すらままならず、本当に閉塞感がやばくて、このまま年末年始一人でモルちゃんと家にいたらさすがの私でも心が死亡する気がして、それが今回の渡航を決めた最大の理由ではありました。
久々に見た空の上の世界は、本当にきれいでした。

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日本の海が見えてきたとき、その美しさもさることながら、日本に…本当に…着いた…。という感慨深さの方が、強かったです。

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さて成田空港に到着すると、降りてほどなくして検査会場へと到着し、そこからはものすごい滑らかに流れ作業で唾液検査へと導かれます。出発国と経由国の確認をされ、もちろん対象に該当するのでパネルで仕切られたところへ一人ずつ通されてそこで唾液をていやーと出して提出し、またその先で書類や健康確認のメルアドやLINEなどを確認され、全部で30分ほどで済みました。待合室は椅子が一個とばしで番号が振られており、指定された席で時間を待ちます。
二時間ぐらいかかると聞いてたので当然かかるんだろなーと思ってのんびりしてたら、そこから30分もしないぐらいで呼ばれたので、早すぎない!?まさか逆に陽性だったとか…!?とか考えたのですが、普通に陰性でした。はい。列に並んでる時から唾液溜めといてすぐさま提出したから周りの人たちより早かったのかもしれませんね…。おすすめです…早めに溜めとく作戦…。…汚い話ですみません。。

無事に陰性ということで、荷物引き取り場所へ行く途中、エレベーターで一緒になったカップルが話しかけてくれて少し話したら、彼らはフランスからで、彼女はフランス人だったので結果間に合わないと困ると思って二箇所でPCR受けて到着してまた今受けたから3回受けた!つってて、お疲れ様です…!!と話しつつ、改めて、なんで日本人は事前検査結果いらんのだろね…?と謎になった…。だって、ビジネスとかで一時的に渡航して帰ってきたわけじゃなくて、普段あっちに住んでる日本人だよ?条件は外国人と同じだよな…?と…。まぁ、受けずに渡航できたので助かったんですけども、どういう根拠で決めてるのか分からないね…?と思ったのでした。

あまりにも予定より早く出れたので、父の迎えを待つ間、がらんとした成田でスタバのコーヒーを買い、半分以上封鎖されたベンチの空席に座って本を読んで過ごしました…。…空いてるのは好きなんで苦ではないんですけど、いやそれにしても、すごいなぁ…。お店もほぼ閉まってる感じ。
久々に到着した日本で、みんなの消毒対策とかはどうしてんだろねぇ…と観察したりしてました。
1時間半ほどで無事父と合流できました。帰る途中のPAで食べた唐揚げ定食が強烈に美味かったです…。トラックの運ちゃんとかが毎日でも飽きずに食べれる味とクオリティーなんで、トップオブトップなんじゃないかと…。すげえ美味かったな…盲点でした。普段高速とか乗らないから多分滅多に食べられませんが…。…うっお腹すいてきた…(セルフ飯テロ)
それにしても、父に車で迎えに来てもらうのなんて初めてだったので、あまりにも楽チンに家に到着して、びっくりしました。お車…最高すぎんか…。。普段、長女の癖なのか、なるべく親に頼りたくないのでどんなにしんどくても一人でトランク引いて電車で帰ってるんですけど、いやほんと、今回はコロナのおかげで、絶対普段経験しないことを経験させてもらっているなぁ…と感じました。ありがたや…ありがたや…。あと…自由業バンザイ…!時間の自由!!!

 

・到着後の日本生活

まず、健康報告…ですが、東京23区の私は「健康に注意して、朝晩熱計って、異常あったらすぐ知らせてくださいね」というメールが来て終わりでした。報告しなさいという連絡が一度も来ませんでした。…ゆるいな…?ただ渡航前に調べてた時にも都区内の人がその状態だったと読んだりしたので、対象人口が多い地区だとそうなってしまうのかもしれません。田舎の方の友人は、毎日保健所からメールが来て報告してたとのことでした。多分地域差…?

・天国みたいだった
ここ数年は年末年始に帰省してるのですが、こんなに故郷を「天国みたいだ…」と思ったことはありませんでした。
関東の冬は明るくて、毎日晴れていて、明るくて、暖かくて…。昼間だけですが…。。夜はね、今年は寒かったなぁ…毛布追加してやっと眠れるようになりました。家の中寒いのだけはやっぱり慣れないな。
でも、チェコは11月から毎日ほぼずっと曇りです。ずっとグレーの、暗い空。それに加えて今年はロックダウンで全てのお店が閉まり、生活に味気もなく、外食はできないのでせめて数件のお店でごくたまにテイクアウトをしてくるぐらい…。生活に文字通り、一切の彩りがないのです。ちょっと雑貨店を覗いたり、ちょっとコーヒーを飲んでいったりという、そういうものが全て奪われた世界。3〜5月のロックダウンも長く感じたものですが、10月中旬からのロックダウンは、グレーの空と相まって、さらに重苦しかったのです。
それが、東京に来たら、マスク着用と消毒ぐらいで、あとはみんな、好きなように暮らしてる。ほとんど通常通り。お店はみんな開いていて、気分転換のものを探しにも行けます。コーヒーだって、お店で買って外で飲んだって寒くない。気温が10℃あるのと、0℃とでは、同じ珈琲店が開いてたってこれだけ違うのです…。日本が低感染リスク国だということは、私にはほとんど奇跡に思えました。計算して日本人に生まれたわけではありません。対策だって、正直言ってほとんど同じようなことしか人間にはできません。マスクと手洗い、うがいぐらい。日本の方が気をつけてる人が多いというけれど、見えないとこには、気をつけてない人間だっているはずですよ。少なくとも、これほどまでに感染者数の差が開くほどのことを日本人がしているとは特に感じませんでした。そう考えると、おそらく遺伝子的な理由はやはりあるのでないかと個人的には思います。アジアでは昔から肺病系が多かったので、何かしらの抗体がついているという説ですね。もちろん、今はどの説も眉唾なのでしょうが…。両方の国を直接経験した私としては、今回の滞在ではそのように感じました。
とにかく、安全だと、感性が告げて、私はホッとしました。もちろん、二週間の自宅待機の後は、外出時も混んでる場所には決して長く滞在せず、店の中にいる時は座席間が十分開いてる店を選び、映画館はガラ空きの時間帯に入って飲食せずにいる、などきっちり守って滞在しました。とにかく、帰るまでは一瞬たりとも油断できないからです。条件が変わろうと変わらなかろうと、私が陽性になれば終わりですからね。。毎日、日本と欧米の両方の情報をチェックし続けていて、緊張感はありました。
それでも、低感染リスク国の祖国に三週間いられたことは、私の魂を救いました。一年分の緊張と疲労が、だんだんと軽くなり、頭が冴えて、今必要なものが見えてきて。具体的にいうと、ヨーロッパにいると当たり前のように西洋哲学の話になるので、そっちを強化したいと考えてたのを思い出し、免許の更新ついでに図書館のカードも作り直してごっそり本を借りてきて、家で読みまくれたので、そこを起点に2021年の計画を立て、ついでに本も大量に買い込んだりできました。魂が何に飢えていたのか、何を必要としていたのかを、二週間の自宅待機中に自覚することができたのは、今、一番必要なことだったように思えました。
家で両親と過ごせたことも、すごくよかったです。どうしてもこの状況では、毎日顔をあわせるパートナーにギスギスしてきます。でも、私がちょいっと帰ったことによって、二人とも嬉しそうでした。なんだかんだで、私も一番嬉しかったことは、それだと思います。うちは食卓にパーテーション立てて食べてるんですけど…(すごいですよね…母の案です笑)、それでも顔を突き合わせて一緒にご飯が食べられて、本当に楽しくて、嬉しかった。

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本はこんな感じ。
昔と読み方が変わったってことに、ここで気づきました。
西洋とアジアを交互に読んだり、フィクションとノンフィクションや、紹介モノと原典を交互に読んだりするのです。
一冊だけ読もうとすると飽きて投げ出すことが多くなってたので、そうかつまみ読みすれば楽しめて身になるんだなぁーと、今回で突然自覚して…。最近、本が読めない…と悩んでいたのですが、面白い本は完読してるから、結局そういうことか?とか言いながら探しました。。
実家に置いてきてた大事な本もいくつか加えて、プラハに持って帰りました。
本がある人生が突然戻ってきて、楽しくて仕方なくて…。私は本当に本が好きなんだと、また改めて、実感しました。

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クリスマスも、誕生日も、大晦日も、お正月も家族や友人と過ごせて、本当に幸せでした。
なかなか会えなかった友達にも、今回の状況だからこそ会えた人たちや連絡が取れた人たちが何人かいて、本当に嬉しかった…。
いつもと違うけれど、違うからこそ、のことがたくさんありました。厳しい状況下ではあったけれど、帰ってこれてよかった、と心から思いました。

そう………遠足は、帰るまでが遠足。

というわけで、チェコに帰る日…。最後まで緊張しました。結果的にはまったく無事に帰れましたが、往路の日とはいくつか変更点がありました。
というのは、帰国する1月4日の時点でイギリス等で出た変異株がかなり広がってきている時期だったからです。
それでもまだ安全国指定の日本人である私は、事前のPCR検査が不要でした。私は本当にラッキーだったと思います…。これが十日後だったらもう、分からなかったかもしれません。ものすごいギリギリのところを切り抜けたと思います。
なんで事前に受けたくないかって?
4万6500円だからですかね………………。

というわけで当日。
飛行機の欠航っぷり…。ご覧ください…

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えーん……!

そして空港ガラッガラっていうか…無人…状態。

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さすがに初めて見た…のと、今回もチェックイン時にもう、北ウィングで開いてるのはうちんとこだけみたいな状態で、近づいてったらあちらから添乗員さんたち総出で面倒見てくれる感じで名前と行き先言ったら手元の端末でチェックしてくれて、「なんちゃらロケーターは登録お済みですか?」と。…えーん初耳です…何ですか…つーたらすぐ教えてくれて、Public Health Passenger Locator Formに事前にウェブで申請すると。つまり「帰国後の滞在先や今の健康状態が問題ないことをチェコ保健省に申請登録するウェブフォーム」でした。成田チェックイン後にこのガラガラのロビーで改めて調べましたが、公式ページでは安全国リストに乗ってるうちらは登録すらしなくていいことになってた…ので、どうやら最新の情報だったようです…。いやー…助かった…というか…知らなかったガチで…。。

これでなんとか普通にチェックインができて、荷物も預けて、送ってくれた父母にバイバイと手を振ってからロビーで待ってる間、ねえ…ほんとにPCR検査結果いらんの?ねえ??と調べ尽くしたのですが、やっぱり書いてなくて…。そもそもそのなんちゃらロケーターもまだいらないことになってたからね…。ちょっと不安になってきたんですが、さすがにここまで無傷で入れて到着時にいきなり「おい検査結果は?」とは言われんでしょ…言われたとしても翌朝検査に行けとかでしょ…と理性では分かっていても、いやぁ…とりあえず家に着くまでは気が抜けないってことだな。と覚悟しました。

帰りの飛行機は、行きよりさらにガラガラで、本当に…空いてるなんてレベルではなかったです。
上の電光掲示板ですが、カウンターで「今日欠航多いですねぇ…」と聞いてみたら「昨日よりさらに減りましたね…」て言ってて、実際目の当たりにしたらまたちょっとショック受けた…というか、わたしのこの便が飛んでるの、奇跡なのではないか?とか、なんでKLMだけ無事に飛べるんだろう何か裏事情があるのかしら…?と思うレベルで、本当に、いや、これ奇跡なんだな、みたいに思えてきた。アムステルダム旅行に行ったときみんなめっちゃ優しかったなオランダ人…とか思いを馳せてしまった…。
離陸する時、優しくてやわらかい日本の冬の光を見て、初めて涙が出てしまいました。もうちょっといたかったな…と。正直言って何度も一時帰国してる中で、そう思ったのは初めてでした。優しくてあたたかくて、安全で。わたし的には本当に久しぶりにホッとできた時間だったのです。
ところが滑走時にでっかいフェニックス出て来ちゃったからねぇ…。涙も引っ込んだ。そうか。生まれ変わるんじゃ、仕方ないな。がんばろ…。家に帰れるということは、まだまだ頑張りなさいって言われてるってことなんだから。

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私にはそれにしか見えなかった。

あと、富士山も見えましたね…!

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うはぁ…。

乗り継ぎのアムステルダムも、パスポートと滞在許可証を見せたら一発パス。いや、分かってたんだけど、今は奇跡にしか思えない。他の国の人たちはほとんどみんな必要なのに、世界でたった7カ国だけなんですよ?パスしてるの…。すごくないですか?もう、私やっぱり前世で徳を積んだのでは…?て思ってしまうレベルだったよな…私は何もしてないのに…日本人というだけで…。。みたいな。
帰りは乗り継ぎ長かったのでカフェラテと読書で三時間ほど粘り、最後に夕飯となるバーガーキングをムシャァとやって飛行機に乗り。

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見てください、この…素敵なプロペラ…。いや、今まで乗った中で一番古くて小さい、年代物の飛行機だったと思う。座席も、こんな硬いことある?てぐらい硬くてめっちゃケツ痛かったよね…。でも時差で眠かったから爆睡したよね…。ちょっと不安だったのですが、離陸して分かった。機長さんがめちゃくちゃ運転がうめえ。めちゃくちゃ安定してた…。安心したら、このプロペラのアナログなかっこよさが染みてきて、思わず写真撮ったよね…。かっこよかったです…。着陸もハチャメチャに上手でびっくりしちゃったわ…。いや今回、本当に、ベテランで固めてるんじゃないか?というぐらい、精鋭しか飛行機乗ってないって気がしました。機長も搭乗員さんも。ものすごい快適でしたね…。やっぱこのご時世に飛ぶ飛行機つったらもう…そうなるのかな…。。このへんはまったく予想してなかったので、実際に乗ってみての意外だった点でした。

夜10時、無事にプラハに着陸。
プラハの空港は、シェンゲン圏外からが第一、シェンゲン圏内からの便は第二ターミナルと決まっていまして、シェンゲンの他の国でEUへの入国手続きは終わってるので通常はパスポートコントロールが存在してないんですけど、恐らくEU加盟以来初めて稼働したのでは?と思われる第二ターミナルのパスポートコントロールに人がいるのを見た時は、びびった…。ちょっと不安になった。でもやっぱり、パスポートと長期滞在許可証見せたら一発パスだった。おれの不安を…かえせ…。いや返さなくていい…。おかげで無事、ありがたく帰ってこれたので…!!いやー!よかったよー😭こわかったよー…!!なんとか帰ってきたぁ…。
ダンボール追加して持って来てたのでシータク探さねばだったのですが、利用客激減すぎていつもなら鈴なりで外に待ってるタクシーがなんか怪しげなの2台しかいなかったので、えーん…とタクシーアプリで呼び、なんか大雨降ってきた中を、なんとか無事に帰宅しました。
よかった。
とりあえず、とにかく……よかった!
無事に帰ってこれました…!!!
はぁ…感謝…世界に…感謝…。。。。
ありがとうございましたーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

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なんかこう、もちろん一時帰国はいつでもありがたいものなのですけど、本当に今回は毎日、毎瞬間のように「ありがたいなぁ…。」としみじみしていました。誰かに一人会えただけで、すごいことだなぁ…。と思い、家族分の食後のコーヒーを入れるだけで、嬉しいなぁ…。としみじみし。美味しいもんも…いっぱい食べたしな…。もう…一年分…食べたしな…。。いやー。。

でもやっぱり一番沁みたのは、家族に会えたこと。
2020年、まず日本で流行し出した時、本当に家族が心配だったし、親のそばにいずにここにいていいのだろうかとも、思いました。それからすぐヨーロッパでも、むしろヨーロッパの方が酷くなってしまい、ロックダウンにもなり、今まで感じたことのないような不安とぼんやり感がありました。今回の年末、帰りたかったけれど、そんなことが許されるのかも、私にそんな資格があるのかも分からなかった。でも、なんとか行って帰ってくることができて、大好きな家族の顔が見れて、三週間ちょっとだけど一緒に暮らせて…。こんなにも、「家族の顔を見るために帰省したい」と思ったのも、それができてホッとしたことも、初めてだったと思います。本当に、本当に、嬉しかった。
帰りもギリギリで…。本当にギリギリのライン渡ってきたなと、旅を終えた今でもヒヤヒヤするぐらいのレベルでしたが、無事に帰ることができました。もう、感謝しかないです。 

2021年もとにかく健康第一に、無事生きてることや暮らせてることをまず感謝しながら、今年も踏ん張って…いきましょう!
私も今できることを最大限頑張って実行していきたいと思います。

 

もるもバッチリ元気でした!!
今回のペットシッターさんに出会えなくても、渡航は不可能でした…。本当に全てに感謝です。

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