一応、来年の5/1〜7の東京での二人展が決まりまして、それに向けての準備という気持ちにもなりつつある今日この頃、手持ちに絵がどのぐらいあるのかちょっとずつ確認を始めないとなぁ…と絵を保管していた紙挟みを開いたところ、またしてもこの10年の苦難を目の当たりにすることになった。つらい。
自分とてあまりネガティブなことを自分の絵に関して言いたくはないのだが、とにかくこの苦境を抜け出したのがつい最近であり、その痕跡の後片付け期間である今、それがどれほどのことだったか、つくづく身にしみるので、供養のためにこういう記事を書く。
この10年の苦痛とは、「描いたところで何一つ形にならない期間が続いた」点である。
その間にもちろんいくつかは、形になった絵があった。ほとんど奇跡的と言えるものだ。その十数枚程度しかアップロードしていないので、成功していたように見えるかもしれない。
その裏にはこういう、ただのぼろきれ、ぼろくその断片、何にもならなかった苦闘と苦痛と失敗の痕跡がどさどさあったのである。
みみずののたくったような絵たち。
のたくってたのはもちろん、まぎれもなく、私自身である。
過去10年の間に作られた、こういう絵たち(または絵未満たち)を見ていると、膿み、痛み、弱り切ってエネルギーの切れた自分の覇気のなさがよく分かる。迷い、ためらい、悩んだ末に加筆を決意し、その加筆が全部失敗した絵も多く、その徒労感は筆舌に尽くしがたいものだった。本当に、形にならない絵がこうやって、たくさん、たくさんあって。
苦しかった。
とにかく苦しかった…。
こっちにきてから吸収したものと、元から持っていた、絵を描くために必要な「三次元を二次元に変換する能力」とかもほぼこの10年間失われていて、つい先月、戻ってきたことを確認した。今の私の実感としては、「10年ぶりに好きに描けるようになった」という感じである。
とにかく、学んだことを統合しつつも自分本来の持ち味で描けるようになるまで、ここまでかかったのだ。おかげでアップデートしたかったことはちゃんとできた自覚も自信もあるけれど、まだ、その消耗の回復はこれからなんだな、というのも同時に自覚している。
形にならなかったものを捨てると決意して、紙挟みからその絵たちを取り出しながら、頭の中をタイトルの「苦難・苦闘・苦痛」という単語がぐるぐると駆け巡った。
あまりにも…大変だったなぁ…。
この10年に報いられるのはこれからだけれど、疲れは疲れでちゃんとケアしよう。
そして、これからは大変でも楽しく、私が産もうとしていたものを創っていく日々を、健やかに、一歩ずつ、送っていきたい。
絵たちは、ほんとは燃やしてお焚き上げしたかったけど、紙のサイズがでかいから家ではできないし外だと野火になっちゃいそうだったので、シンプルにゴミ袋に入れました。
ありがとな。
もう二度とこんな苦しい時期が来ないことを願ってるけど、まぁでも、その末にでも残った絵はあったし、よかったと…いたしましょう…。。!