絵における自己表現の始まりと形成/自分の場合。

文字ばっかりのブログでーす。


小学生の頃、私は「絵が苦手」でした。
理由は、自分が絵が下手だと知っていたからです。
私の性格は幼少期から変わっておらず、常に自分の知る最高レベルのものと自分を比べる習慣があります。私は大人に比べて絵が下手だったので、絵が嫌いでした。少なくとも、自分が描きたいと願っている内容を自分が表現できていないことを知ってしまえば、嫌いになるのは容易でした。
特に学校の図画工作は大嫌いで、工作に至っては強いられていると感じていました。
でも、たぶん絵は好きだったのでしょう。自分が下手でさえなければ。
ただ、上手くなる方法もつかめないままでした。

私に絵の楽しさやコツをそっと教えてくれたのは、いつも母でした。
学校の先生に何かを習った記憶は一切なく、つまらないという記憶しかないので、わたしの絵の師匠は確実に、母なのです。
一番最初の記憶は、大嫌いな写生大会から帰ってきて、しぶしぶ公園の木に加筆しているときでした。
「こうしたら、もっとリアルに見えるよ」と、母はほんの少しだけ描き入れてくれたのですが、見違えるようにほんものの木に近づいたのを、今でも覚えています。そんなちょっとしたことでできるの!?という感じでした。
まだ、木を描くのが楽しいという感情はありませんでしたが、苦手意識がほんの一瞬だけ取り去られた最初の時でした。

その後、中二の修学旅行後に作ったポスターで図柄や構図が決まらずうんうん唸っていたら、母がひょいっと来て自分が持っている図案集を置いていき、構図についてささっとコメントして帰っていったんですが(母のすごいところは、決して押し付けないのです)、それでやりたいことがやりたい放題できる構図を見つけてしまい、うわぁ、楽しい!!!!となったのがその、中二なんです。
美術ってやりたい放題やるということなのか!自分がいいと思うものをやりたいようにやることなのか!!と気づいた私は、それ以降、「課題を無視してでも好きなものを作るとうまくいく」ことに気づいてしまい、大学入試時にはそれを天然でやらかして落ちるなどしましたが、まぁ無事に合格できたしいいでしょう…。
つまり、「自己表現」が目覚めたのは、確実に、この時なのです。

母はこの二つのみならず、どういうわけだか、私が絵に興味を示すと、それに関する書籍をぽつぽつと、いや、ぽつぽつというにはかなり熱心に、必要な本を買い与えてくれていました。当時私はバレエを週六日やってた状態で、誰も私が絵を描く人間になるとは予想してなかったわけですが、文化に関することには母は惜しみなく助力してくれていて、それは今に至るまで一貫しています。
あの時に買ってくれた色彩学の本を隅から隅まで読み続け、色というシステムや捉え方の基礎が出来上がったおかげでその後色のことで悩んだことは一度もないのですが、今思えばあそこで一生使える基礎を作ってしまったのだと思います。今でもそらで覚えている箇所がいくつもあります。もちろん実物の本が実家にまだありますね。
それから、実地的な描き方の本みたいなものもかなり買ってくれていました。パステル画の本や鉛筆画の本は、カラーと白黒の世界を別々に自分の中でそれぞれ確立するのにすごい影響を与えたのではないか、と今になって気づきました。
例えばパステル画の本は、後にソフトパステルに変えて自分の主戦力の一つになったのですが、この時使っていたハードパステルでの知識は全部の基礎になってたと思います。。母が持っていた48色セットのハードパステルを「借り」て(完全に実質私物化しましたが)(母のものは俺のもの状態で使い込むのが常でした)本のエクササイズを全て練習し、最後に自分の中にあった風景を突然、描きました。夕暮れの神殿の石造りの階段に座る巫女のような尼僧のような女性の姿でした。
これを見て、娘が絵描きになることを反対し続けていた頑固ジジイの母方のおじいちゃんが「さすが俺の孫だ」と言ったらしい、という一言は後に我が家で伝説になったものでした。じいちゃん、昔ながらの職人ジジイだったけど、ほんとは娘も孫も溺愛だったんだよな…。絵描きを志し、挫折し、富山に戻って看板屋になったじいちゃんは超絶お絵かきお上手マンで、その娘のわたしの母も絵も彫刻もデザインもという才女だったのですが、じいちゃんに「絵でなんか食っていけないぞ」とこんこんと諭され続けてその道は志さず、なぜかその娘の私にそういうのが発現したんですね。余談でした。

そんなわけで、わたしが絵が好きになったのは、「自己表現」という感覚が突然生まれたその瞬間からでした。
これまたなぜだかはっきり覚えてるんですが、私の自我は中二の夏休み明けに突然目覚めました。休み明け、見渡したクラスメイトたちがあまりにも何にも気づかず何も考えていないことに突然気づいてしまい、あれ?世界ってこんなだったか?と、足元がぐにゃりと歪んだような感じになったのです。その夏休みで身長も8cm伸びてるんですよね、男子か…。男子並みか…。そういうのもあって、いろんな意味で視界が完全に変わったのが、中二の夏休み。あんまり嬉しくはなかったですね。でも、あそこから今に至るまでの意識はひとつながりです。


そんなことをね、いま、絵本の制作をしながら突然思い出したんです。。
今回この制作はすごく不思議で、今佳境を迎えているんですが、どんどん、昔の自分が好きだったもの、今の自分を作った原点の記憶が蘇り、今に結びついてきてるんですよね。
具体的に言うと、音楽が特に大きいです。高校生の頃、ライブハウスに通い始めるきっかけになったバンドの音楽を突然思い出してYoutubeで漁って「あの曲が一番いいのにない!!実家戻ったら全CD読み込むぞーーー」てなったりとかしてます。
なんだろ、これまた中学生時代ぐらいからはっきりと、自分が何を求めるか、を軸に音楽を聴き始めて、中3ですでにインダストリアル自分で作ろうと志して高校入学祝い握りしめてシーケンサーつきシンセ買ったぐらいはっきりしてたんですけど(15歳が楽器屋行って、店員のにいちゃんにやりたい方向性聞かれてインダストリアルですって言ったら二度見されたんですが買いましたKORGちゃん懐かしい…)(ちなみに他のやりたいことが多すぎて手が回らず、バンドやってる友達に後に譲りました。20kgをかついで帰ったあの子…元気かな…)
余談が過ぎるんですが、そんなわけでなぜだか、そう。高校生の頃、とにかくずっとずっとずっと聞いてた一番好きだった音楽たち…に戻ってきています。いっぺんにじゃなくて、なんか、ちゃんと順番に来るんですよね。不思議ですね。
先月Soft Balletの偉大さを思い出して聴きまくり、こないだはHal From Apollo '69を聴きまくり(今も)。20歳前後にライブハウスめっちゃ通って聞いてた音楽もです。
生理的な、この世界という概念が形作られていった時期の、世界に対する基礎生理感覚があそこで発生してる感じというか。
森を描くときはSunkingの「糺の森」を聞く、とか。
なんかこう、テーマソングが自分の中にすごいあるんだな…て今になって強く感じています。
原点の音楽は自分の世界観にフィットしてて、それを担っていて、絵を描くとき、一番大事なのってそこなのかな、と。生理的にそういう風に感じたんじゃないかな…と。

イラストレーションは自分にとって、なんかちょっと不思議な立ち位置にあって。実のところ最近、というか今年、ちょっとアートの方の自分に行き詰まりを感じていたので、今しかできないことがイラストレーションだったところへちょうどこのプロジェクトが入ってきたので、今これに全力を出す!!てなって、やってるうちに、何かまたいろんな側面が見えてきて…。
ものすごくいい本になることは間違いないんですが、締め切り直前時期の今、大いなる謎が一つずつ解けてきてるというか、自分たちでも実際にそうなるまで分からなかったことを見つけていってるので、いやー、なんだろ。すごいね。
締切は怖いんですけどね。そりゃ十分にもう、恐怖ではあるんですが。
それ以上に、やれるだけやれる今が楽しいですね。
ありがてえなぁ。
日本でも出版されたらいいよね…て話はしてるんですが、いやはや、どうなりますか。
といったところです。