納得への道程

今日のはただの今の私の思考です。
長い文章や手記類に興味の無い方、嫌いな方には何の意味もない記事ですので、どうぞ通り過ぎてくださいませ。


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スランプのような状態が続く中、3/31〜4/1にボローニャ国際チルドレンブックフェアに行きまして、更にいろいろと思うところがあり、頭の中がまとまっていないので、とにかく書き出したいと思います。
ヨーロッパでもがいている、一人の小さな絵描きのある日の頭の中です。


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何かの狭間にぽとんと落ちてしまって、上がってこれない時、というのがあるものなのですが
今、そういう時期です。
もう三週間以上ぐらいこんな状態なので、それはもう物凄く焦りもあるのですが、どうにも致し方ない。
こんな時はせめて、書いて整理をする。


自分が目指すものが「絵本画家」でいいみたいだ、ということを、ボローニャに行って見つけました。これは、私の遅い歩みの35年の人生の中で初めてのことで、とても大きな意味を持っています。「絵を描く」ということ以外の指針を何一つ見つけられなかった私の人生の中で、初めて見つけた目指す指標だからです。
そしてもう一つ、今作っている本に関してどうにも分かってしまった欠点?課題?もあります。それは、私にはまだ、絵本や印刷の世界で「色」を使う力が充分についていない、ということ。絵だけなら大丈夫なのですが、今の環境ではブックデザイン含めて全て自分で考えて、それらを鑑みながら絵作りをしていくため、そのグラフィック力がまだついていないと実感しているのです。三年間で間に合わなかったということは、卒業後も全部を自分でやろうとするのではなく、むしろ自分は絵に専念して絵を描かせてもらうチャンスを勝ち取っていき、デザインは専門家に任せるという形になれるよう努力していった方がいいだろう、というのも冷静に見えてきました。それをやりながら、色をも使いこなす力がついてくるかもしれませんが。
それが、もし本全体が黒一色なら、一年生の時からできてたんです。特に苦労もなくできていた。絵や文字を本の画面にどうはめこめばいいのか、どうすればバランスが取れるのか、分かるんです。黒の比重なら分かる。黒の世界でなら、私は負けない。
でも、色が入ると、まだ比重が分からないみたいなんです。画面の中で、何がどのぐらいの重みを持っているのか、どうしたらおかしくないのか、どうしたら自然に見えるのか。白黒でなら分かるということは、その感覚の基礎、礎は私の中にちゃんと存在している、持っているということだと思います。でも色は難しい。色には全然違う方向性、重み、比重、雰囲気、意味するものがあります。それらが画面の中であまりにも交錯してしまう。シンプルになれないんです。私はシンプルになることに関しては非常に強いのですが、複数要素たちが交錯する画面でそれらを自然に成立させるというのはわりと昔から苦手です。一つの芯を見つけて爆走することなら本当に得意なんですが…。得意の爆走ができないもんで、どうしていいのか分からなくなってるみたいなのです。二年目からが非常に苦しかったのも、このせいです。辛い、苦しい。だからといって、今の本を白黒でやりたいとは、やっぱり思えない。。あの本にはやっぱり色が欲しい。でもこのまま同じ制作方法で続けるのはなんだか単純作業を繰り返すだけに思えてしまって、どうしてもモチベーションが上がらないのです。集中力を切らしては、魅力的な絵も描けません。人に見せてもそこは見抜かれます。そうして、どうしよう、と戸惑ったまま、三週間が経過しているのです。
毎日毎日、今日こそはと思っては、まだ無理な自分が一瞬でぶつかってきて、脳しんとうを起こしている間に一日が終わる、というような状況です。ボローニャに二泊三日行けばリフレッシュになるかな?と思ったのですが、ボローニャは殆ど絵という仕事のことしか考えず、観光も寄り道も殆どする時間もなかったビジネス旅行みたいなものですから、リフレッシュよりストレスの方が多くなってしまった。自然、仕事がはかどるというよりは、本業に関する大きな収穫を得るのと引き換えに、現在に対する集中力の真逆へ行ってしまった、そんな印象すらあります。

きっと、ちゃんと起こるべきことが起きているんだと、それは分かるのです。
でも、やるべきことをやれてるのかどうかが、すごく不安です。心配です。
とても怖いです。
それでも今は、じりじりと。じりじりと。何かににじり寄っていくような…。部分なんです。

今回ボローニャに行って、世界では普通子供向けの本はこうで、イラストレーターに求められてるものはこう、ていうのを見て、あぁそうだよね。て思いました。チェコはやっぱり特殊なんです、文学的で文字が多い。それはチェコでは喜ばれるんですが、ボローニャで何人かの編集者にチェコで作った本を見てもらったとき、絵はいいけど文字が多すぎる、文字がいらないと言われました。あと詩の本も持ってっちゃったので、これはアートブックだろ、子供向けちゃうやんと言われて、そりゃーそうすよね、と普通に思いました。w 絵本がどういうものかなんてことが全くピンと来ないまま日本を出て、直接チェコなんていうちょっと特殊な国に来てこの国の本ばかり見ていたおかげで、私のセンスもなかなかズレつつあったようで(それは私がもともとズレてたからなんですけど。笑)、ボローニャ行って、作品見せてアドバイス貰った時、まぁそうだよね。のオンパレード。まったくもって仰る通り、と。
ただ、多分私の強みがあるとすれば、私がそれを天然でやってなかった、というところだと思います。もし私がとても若くて、自分の画風や方向性が分かってなくて苦しんだとしたら、今私はもっと苦しかったはずです。自分の何がここで通用しないのかが分からないから、です。ただ、私は今回、自分が何をしているか分かっていた。だから、言われた時に、あーそうかなるほど、とすぐ分かったし、自分がこの先何をすべきなのかもなんとなく分かりました。
それから大きかったのは、過去の自分の伸び伸びとした描き方で、そして今は「本を作るための絵」というものが理解できたのでそれを理解した上でイラストレーションを作ればいいのではないか、ということです。この手がかりを得たのは大きかった。もちろん、本当に今私が思っているその方向で合ってるのか、上手くいくのか、仕事に繋がるのかはまだ分かりません。だけど少なくとも、今私はチェコで過去の自分の絵の描き方を完全に捨てた状態で本を作るためだけにイラストレーションや文字を描いているのですが、それと過去とが、自分が本来本当にやりたかった方向で一本のラインになり、繋がるという可能性が出て来た。そして恐らくそれこそが、日本時代ギャラリーで展示していただけでも、チェコで本を書いているだけでも得られなかった何かへとやっと繋がる唯一の道であり、自分が最も力を出せる「自然体」の最高の状態へ行けるたった一つの方法なんじゃないか、と予感した、ということです。
誰にも何も、まだ全然分からないけれど、可能性が初めて見えてきていて
しかもそれには、まだ更に時間がかかりそうだということ。
私ののんびりした、不器用な、要領を得ない生き方では、まだかかるでしょう。
それでも、絵を描きながらも未来が何も見えなかったあの頃よりも、本のための絵という文脈をこつこつと学んでいる今よりもこの先には、恐らく、恐らく。繋がっていくんじゃないかと。初めて、この世界と私が充分に繋がる方法が見つかるのではないかと。そう、感じたのです。


日本でこれらのことについて、知識としては知っていたけど、全く実感として掴めなかった自分。
こっちへ来て初めて、あぁあれってこういうことかぁ、て納得したりしてるんですけど、日本を出ない限り、私にはそれを理解することができなくて。
自分が主観的で、客観視の難しい人間だということがよく分かります。
日本を出る前は全てが混沌としすぎていて、ほんの簡単なことすらも全く私の目には見えていなかったので、今回の一見異常に簡単に見える結論も、れっきとした収穫です。これを当たり前だろうとは思わない。私が納得できなかったから、全て自分でやるスタジオを選んで渡航してきて、そして私は今、納得したわけです。頭ではなく、理屈や入れ知恵ではなく、自分の人生の責任において、実感と経験を積み重ねた中から初めて、心から納得できたというのが重要なのです。これなしに生きて、活動を続けることは不可能だったからです。ギャラリーで絵の展示をしてた時代から既に、本を作りたい、という気持ちは強く(もともと、初めての個展がシッダールタでしたから)、結局ファインアートとして四回の個展をした後に私が出した結論が「本に挑戦しなくてはならない」ということ、そしてプラハに出会って「イラストレーションをもう一度、本を作るために学ぶ」ということだったわけですから。私はここまでやらなければ理解できない、納得できなかったんです。やらないで分かるに越したことはないかもしれません。でも、私には分からなかった。日本にいると目が塞がってしまっています。他の全てのことは、そりゃぁもちろん日本にいた方がいいでしょう。でも、一番大事な部分が、私に見えないままならば、私はやっぱり、そこに居ては駄目なのだと思うのです。納得しないままでも、「生きているフリ」はできます。「なんでうまくいかないのかなぁ、こんなに頑張ってるのに」って、言うことはできます。でも、そのまま死ぬ。それが自分で許せなかったのです。私にはその生き方はできない。常に積極的にグイグイ行ける性格じゃありません。遅れならいくらでも取っています。それでも、それでも、私は自分を諦めないのが不思議です。でも、諦めていないのなら、終わりじゃない。次の道しるべすら、私の道は見せてくれました。
その感触がとても強かったので、今この瞬間としては何をしたらいいのかが、正直また分からなくなっていて…、また困っているという次第です。徐々に時間が追いかけてくる。まだ立ち止まっている。立ち止まっていることが、死ぬほど怖いのだけれど、手が動かない、気持ちが動かない以上、どうしようもありません。今という時間は、本当に形容しがたい時間です。



ともあれ、改めて今回思ったことは、私は、海外に出てよかったということ。私という人間には、そのプロセスなしには自分を活かす方法が永遠に見つからなかった、それはれっきとした事実です。不器用でダメな人間ですが、動くべきときにギリギリ間に合って動くことができて、本当に年齢もギリギリですけれどこうして奨学金などのサポートをいただいて動き、気づくことができた。

ギリギリでも何でも、その資格を有していてそのドアをくぐり抜けたのなら、お前にそれだけの力があるということはまぎれもない事実なんだ。

これは、私が留学の時に言われた一番力強い言葉であり、同じような状態の子を前にして自然と自分の口からも出て来た言葉でもあります。私の留学のことを、妄想だとけなした人がいて、その話を聞いた友人が言った一言でした。
今でも、そう。自分のことを、どうしようもない人間だと思う度、「事実」にだけ背中を押してもらっています。
ギリギリだから駄目なんだとか、遅いとか落ちこぼれだからとか、言い訳しながらも決してその道から退こうと、しないじゃないか。
ていうことは、私はまだ、私のことを諦めていないんだ。
今回、改めて思いました。
私はまだ自分の絵の力を信じているし、自分の絵の力は信じるに値するものである、という評価が、私の中で決して揺らがない。
だからグズグズ言いながらも、もう嫌だ死にたいとか言いながらも、それでも前へ進もうともがく。あがく。スマートでも賢くもなんともありません。だけど、私は自分に力が在ると信じている。私の絵には、必ず良い力がある、と私は信じているのだということを、今回、確認することができました。

自分の本当の気持ちには、背けません。決して、それは、できません。

今は、いえ、今も…
とにかく、自分と向き合い続けることにします。