手書きの魔法と、命を持った本


出たんですよーーーーーーーーーーーーー本!!!!!!!!!!!!
出ました…………はい。
生まれて初めて、フルで、一冊まるごと頭から尾っぽの先まで全部に自分の絵が入った本です。
すごいです。ありがたいです。
チェコ語タイトルは『Kouzlo Psane Rukou』、日本語にするとしたら『手書きの魔法』…といった感じでしょうか。

この本のすごいところは、単独で読んでも高いクオリティを誇る本当に面白い物語と、西洋カリグラフィーの基礎となる動きから実際に綺麗な文字を書くまでに至るハンドライティングのトレーニングが全く違和感なく同居しているところで、それは「魔法陣や魔法の言葉は、常に杖で空間に、手で書かれきた。あれはカリグラフィーそのものだ」という作者のニコラの哲学が、そのままこの、魔法と不思議な冒険、世界を守る少女の戦いと楽しくてカラフルな道中、そして人間関係の苦さや大きな愛に至るまでのテーマに、全てが自然と溶け込み、組み込まれているからなのです。

私もニコラも、後で判明しましたが本のデザイナーまでも小さい頃、「子ども向けのコンテンツ」に満足できない子どもでした。
だから、この本を作る話を最初にもらった時から、私たちのコンセプトは「子供騙しが通用しない本であること」でした。そうでなければ、子供の頃の私たちがこの本を読めば、鼻で笑ったでしょうから。
私たち自身がそういう子供だったからこそ、「本物を」届けながら、「自分の手で字を書くことは、怖くない。うまく書くことが目的じゃない。あなたという存在が、あなたのままで書くことが最も大切なのだ」というテーマを、伝えているのです。
かくして、私たちはこのコンセプトを貫きつつ、編集部と素晴らしいデザイナーがこの本の示し方をとことんまで考えてくれて、今のこの本としてリリースされることになりました。




このキュートな子供が主人公のミラちゃんです。
内面が、すごく共感できます。
PCやスマホの普及により、手書きで文字を書くことが殆どなくなってしまったのは万国共通で、ミラもまた、手で文字を書くなんてとてもできない、絶対に無理だから誰かにこの任務を肩代わりしてもらおう、と思って旅を始めるのです。



これは彼女が「師匠」と思える人と出会ったときのシーンなのですが、それがなんと、日本の女性なのです。
あー。日本の皆さんにも読んでもらいたい…





これは冒頭部、世界の「創造性」を司る女性が、敵である「King of Sameness」に消されてしまうシーンなんですけど、子供向けの本に抽象画を要求されるとは誰が思ったでしょうか。
これは、当初はその予定じゃなかったのですが、ニコラの書き上げた物語と文章力があまりにも完成度が高かったため、編集部が「子供向けだけど、大人でも違和感なく手に取れる本にしよう」と決めたからなのです。
これのおかげで、表紙のデザインも一部変わって、堂々たるユニコーンが単独で表紙を飾ることとなりました。



こうした経緯もあり、絵自体は2019年の夏の丸四ヶ月、生命力を削り取って仕上げ、さらに追加で抽象画やイメージなどを大小含めて10枚以上追加で2020年2〜3月に追加して仕上げ、やっと5月に出版となったわけです。本来は2019年のクリスマス前に出版の予定だったものですが、これは時間をかける必要がある、と関係者全員で同意してのものでした。

チェコは書店に流通するのもそれほど早くないのと、コロナのこの状況もあってか、書店に並ぶスピードはぼちぼちでしたが、初めて書店で平積みにされている本を見たとき、そして明らかに周りの本より減っていたのを見たとき、誰かが……買っていった…………となんか…じーんとしました。

 




さて。
これは個人的な思いなのですが、私としては「自分の絵が印刷されて出版される」ということは、もちろん、人生における一つの、絶対に実現したい夢というか、目標の一つでした。もちろん、この後ももっといろんな形で行いたいわけですが、それはさておき、やっと、私のほんとうの夢が一つ、ここで実現したことになります。私が絵一本に絞ってから、実に20年目の出来事なのです。
絵を始めた時から、私の中にあるキーワードは、実は一つしかありません。
「生きている絵」です。
一枚の絵には、その生命の前後が全て含まれていて、そのうちの一つを切り取ったにすぎないこと、一枚のその絵の中に生命が存在することを感じてもらわなければ意味がない、という、感覚。です。
感覚としか言いようがなく、受け取り手次第でもある部分でもあって、なんとも言えないので、似たような感性の人がそう言った場合はそれが成功していると判別する以外ないものですが、ともかく、それなのです。

それともう一つ、少し特殊かもしれないと思った自分の感覚があって、それは「美術と印刷物には特に違いはない」という信念です。
言葉通りに取ると誤解されると思いますので、説明します。
もちろん、美術品としての原画、一点モノには、そこにしかないリアルがあり、それを見なければ伝わらない真実があります。これはいくら写真を見たって伝わってきません。実物を見に出かけなければなりません。
弱みは、通常は買い手がそれを買ったら、その体験は展示以外では所持者にしか伝わらないところです。
印刷物にとってのリアルとは、「印刷されたものが原画」であるため、例えば2000部刷られたら、単純計算で2000人の人が、全く同じクオリティの「原画」を手にすることができる、ということです。
私にとって、この二つの「原画」の状態は、その質、クオリティー、体験が、全く損なわれないものでなくてはならない、という信念があるのです。
信念というより、自分にとってはそれは事実でしかありません。妄想でも何でもなく、事実です。必ずしも現物として描画された、キャンバスや紙に油絵の具や墨で塗られた絵画である必要性というものは、この意味においては全く存在しないのです。なぜなら、印刷物の上でも、絵画は生きられる、と私は知っているからです。

そして、今回のこの本なのです。
今回、絵は全てデジタルペインティングで仕上げました。データで入稿し、デザイナーに色調補正の一切を任せました。
本が印刷・製本され、最初に編集部に届いたときの担当編集者のコメントがまず
「ものすごく美しい。表紙のユニコーンが、まるで生きているようだ」と。
それを聞いて、ふんふん、そうでしょうね、と思ってはいたんですが、実際に自分も献本をもらい、家についていざ本を出したとき、その仕上がりに驚きました。


ほんとうに神さまがいるみたい…
というのが、私の第一印象でした。

いやー、A4サイズの本ですから、もともと迫力は半端ないんですけども。
印刷されたことによって、さらに細部まで美しくて、粒子が迫ってきて、
この重みと質感と存在感は、いったい何だろう?と
自分で描いておいて何なんですけど、何だろう?て思ってたんです。ほんとに。
これはそれこそデータや写真をいくら眺めても、この実感は得られません。実物の本が手元に届いて、自分の手で持って初めて、この体験は与えられるものです。現に作者の私ですら、現物の本として印刷されて手元に来るまで、ここまでのライブ感はなかったからです。この点において、「原画」はやはり、生きられる。と実感しました。

部屋に毎日飾っておいたら、だんだん出版された実感が湧いてきたんですが、
この本の神聖さと親しみやすさの両立した感覚は一切薄れることがなくて。



紙が今回、コーティングされていない、生の紙に近いものなのです。中身も。
直接ストローク練習を書き込むことも想定してるので、そういうコンセプトにしたのですが、
ちょっとこすったら傷や汚れのつくこの繊細さも、
コーティングされてないからこそのきめ細かい毛羽立ちも、
私が実際にパステル画を描いてた時に愛用していた紙の質感と全く一緒で。
紙を決めたのはニコラなんですが、私の好みともピッタリだったのでもちろん賛成していたのですが、実際にこうして仕上がってみると、あまりにもぴったりで、驚きました。

コロナの影響で、日本ではEMSの発送ができず、チェコから日本には送れたのですがすごく時間がかかり、昨日、三週間以上かかってやっと実家の母のところに届きました。
母は私の絵をずっと見守ってくれていて、自分の心で受け止めるタイプの人なのですが、この母が開口一番、この本の表紙について「本に生命というか命というか、魂?を感じたのは、多分初めてだ。親バカかもしれないけど…」とコメントしたのです。
それで、あっそうか、この迫力とか質感って、命ってことなのか。と。

本に命なんて馬鹿げてると思う人は、思えばいいんですけど、自分や他の人が感じたことを率直に言うならば、この本の持つ生命を、私はどうやら、絵にできたみたいなんです。
もちろん、この絵が描けたのは、ニコラの作品が素晴らしかったからです。
この物語、登場人物、世界観、全てが私を揺り動かし、感動させたからです。
それにふさわしいもの、この本を体現するものを示せば、これを見た人やこれに惹かれる人はまったく自然にこの本を手に取れるから。
それがイラストレーターの私の仕事だから、そうしただけです。
でも、できたみたいです。

それからはっと、気づいたわけです。
20歳で、私が「自分の絵」が始まった、と感じた、その時からずっと目指してきた、こうでなければと思っていたことは「生命を持った絵」だ、ということだった、と。
私が達成した夢はすなわち、ただ「絵が印刷された本が出た」ではなく、自分が絶対にこうでなければ、譲れない、と思っていた「自分の仕事」が、できた。という意味だったのです。

ニコラとの出会いと、育んできた絆もありますが、友人と仕事をするというのは想像するより大変なものです。
しかし、本当に心から尊敬できる友達のことを、今回の仕事を通してさらに尊敬しました。
彼女は人としても、書き手としても、素直で愛にあふれ冷静で公平で、真実と本物の自分であることを妥協することなく追求し、誰もが読みやすい形に仕上げるという難しい仕事に成功しました。
彼女の生きる哲学に私の存在も共鳴して、これを生むことができたのです。
感謝しかありません。

最後に思うこと。
この本には、お役目があり、この本を読んだチェコの人を、もう既にこの本は救っているはずです。行き場のない、理解者の得られない、誰にもわかってもらえなかったことを、この本がわかってくれたという人が、既に出ているはず。そして、これからも出るはずです。
願わくば、この本が多くの方に届き、必要な人の心に、穏やかに力強く、届きますように。



追伸。
本の断面が虹色で、きれいです。わー。
ええもんできたぁ…。。