プラハに行くことになったきっかけ。

2010年の10月頭、親友の結婚式に出るために、初めてプラハを訪れて、二週間滞在して、3日目に「あぁ私、ここ住めるわ。」そう直観した。
妙に居心地がよくて、大半の日本人が合わないと感じるらしいチェコ料理も、私は美味しいとしか思わなかった。食費が安く上がるのも魅力的だった。道路には大型犬のウンコが平気で落ちてるし、タバコはポイ捨てしてあるけど、建造物の美しさや街の感じ、人々や動物たちの感じ、その他の様々な偶然…私には、「好ましい」をはるかに通り越した「ここに住みたい」という感覚が揺らぎないものになるほどのものだった。それは、今までいろいろな国に行ってきた中で、初めてのことだった。帰国した後、いろんな人に「私、行かなくてはならない」と話していたので、その後それを言われた人が「いつから行くの?」と何人も問い合わせてきてたぐらいだった。
その時は学校とか一度探したんだけれど、ウェブの情報じゃ全然ピンとこなくて、やっぱりないかぁ、と諦めたという顛末があったのです。
でも「こんなきれいな街に住んだら、一体、どうなってしまうんだろう」って、思ってた。
ほんの少しでいいから、この街に住んでみたかった。ここにいたいと願った。
何かが起きるような気はしていた。でも、それが何かなんてもちろん分からなくて。でも、それでもよかった。
ほんの少しだけでいい。この街にいてみたい、と。

それが、全ての始まりを生んだ。

この年になって、学びたいことがあるだなんて、自分でも思っていなかった。
でも、ちょうど2011年7月の個展を終えた時、私の中にあったのは「絵を思ったとおりに制作するのはもう出来るって今回自分で確信が持てたから、今まで手が回らなかった本の作品制作にしばらく本腰を入れよう。でないと、自分のビジョンをどうしても実現できない」という一つの結論だった。
その後、本当にただなんとなく「あの街に住んでみたい」という自分の希望を叶えるべく、ビザなしで滞在できる3ヶ月の上限までプラハに住んでみようと思った。それが、2011年の10月頭。
友人の持ち家を間借りして、プラハで疑似一人暮らし。
ただ単に楽しいだけのつもりだった。だけど、実際に一人になって、「私はいったいこんなところへ、何をしに来たんだろう!二ヶ月半も!」と、絶望的になった。自分では何も分からずに、ただここへ導かれて来たということに、この時ようやく気がついた。
私に出来ることは、神さまに祈ることだけだった。

そしたら、その四日後、私の行きたかった場所が見つかった。
私がずっと学びたいと熱望していたことをやっている場所を見つけた。
友達の友達が連れてってくれた。
私は全ての意味で、導かれてそこを発見した、というわけだ。

ここで学びたい!と思った直後から、あれこれ悩んだけれど、「やってみなくちゃ分からない」って思った。
何が可能で何が不可能なのかも。
この年で、失敗するのは怖い。これほどまでの強い熱意で「ここがいい」と思ったからこそ、それに失敗したら当分立ち直れないかもしれない。道が閉ざされたらどうしよう…。それは、本当に怖かった。
それでも、やってみなければ何一つ、分かることなんてない。
住んでみたい、本のことを学びたい、芸術とコミュニケーションは一体でなければならない。私の夢を実現するために、どうしても、本で作品を作る感覚を養い、育て、学ぶことは不可欠だった。

周りにも相談した。
結果は、「やってみなさいよ。」ということだった。

なので、とにかく、今自分のやるべきことを、一つずつ、やっていった。
大学にアポイントを取ること、詳細を聞くこと、見学をさせてもらうこと。
そして「うちの大学院は試験ではなくてポートフォリオの面接で決めているので、あなたの希望するスタジオの教授が受け入れると言えば入学が許可される」と言われたので、教授にもアポを取って、会いに行って。
ポートフォリオを見せて、今までやってきたこと、ここでやりたいこと、とにかく説明して。

「いいじゃない。じゃあ、来年から来るってことでいいのかな?」
「………えっ?………え、いいってことですか?」
「うん、君は作品もいいし、やりたいことがはっきりしてるし、情熱があるし。何?何か問題でもあるの?」
「………いっっいや、ないですけど。。」
「じゃあ、次の十月に会おうね。そいじゃっ」
‥‥‥‥‥‥お、おおん……←正直こんな反応の私

そんなこんなで、とりあえず入学していいよって言われたのが、12月。12月12日。。。何かあるな12……。

それから、いろいろ調べて、奨学金はチェコ政府のしかないってことが分かった。それが取れたら学費払わなくていいし、生活費も毎月定額が支給される。取れるのだろうか?分からない。でも、やってみるしかない。

いろんな人の協力を得て、自分の不得意でたまらない書類の山に取りかかる日々。2〜3日に一度は「あぁ、もうダメだ。 もう一歩も前へは進めない」とまで思うのだが、翌朝起きるとちゃんとまた次の手を一つ打って、進めていって、書類全部揃えて出せた。それが三月の頭。
それからは、「受かるんだろうか…」という不安と、そんなこと言っても通るのではないかみたいな感じと、いやぁでももし通らなかったら親に負担をかけてまで……とか、ぐるぐるしながら、とりあえず大学に出す書類のためにTOEFLの勉強をして受けたり、英語で書類を唸りながら書いたり、行った先の大学院でやりたい内容について調べていってまた書類をブラッシュアップして…みたいな日々。
でも、なんとかできた。

五月の終わり頃、奨学金が取れたという知らせが入った。
六月の六日、奨学金確定の書類が私の手元に届いた。
夢じゃないか?と思った。
自分が、国の奨学金を得て、学びに行けるだなんて。
って、思った。
でも、夢じゃない。これは現実だった。
今はビザ申請の行程を一つずつ進めているところです。 これも不安だけれど、とにかく一つずつしっかり進めていくしかない。あとは天に運を任せる以外ありません。


ほんの少しでいいから住んでみたい。そんな希望から、
私が今自分の表現のために絶対に必要なことを学べる環境を見つけ、手に入れたというところまで、
たったの、二年かからず。
私は2012年の10月1日から、プラハ美術工芸大学の、修士課程プログラムに行きます。二年間。

本のことがやりたいとか、そういうことなら日本でもできるじゃないって仰る人も、少なからずいます。
そうですね、その活動だけを取るならば、それは世界のどんな場所へ行こうとも、できるでしょう。私もずっと、そのつもりでいましたから…。
でも
「どこでやっても同じ」
そんなものは
この世に存在しないと私は確信しています。
私にはここしかなかった。
それはある意味、自分が楽ではいられない環境を選んでると思います。
語学、文化基盤、何もかも違う。当然、日本で当たり前に手に入るものはプラハじゃ手に入らない。英語が喋れるぐらいじゃ中欧のこの国じゃ殆ど役には立たない。せいぜいすぐ帰るんでしょ、とお客さま扱いされて。何故か私はそれが悔しいと感じるのです。言語程度で自分の熱意がないがしろにされるのは、許せないんです。だから勉強もする。でも、だからといって、チェコにだけこだわろうとは思ってない。こだわるべきは、私が実現しなければならないと思っている、芸術における内容です。絶対に妥協なんかできないし、それに見合う実力を自ら身に付けない限り、私はどうしてもそれができません。そしてそのために私が必要としたものを、すべて兼ね備えていたプラハという街を、チェコという国を、私は最大限に敬愛しているだけなのです。
そして今度からこの環境に置かれることになって、いい意味で、私の徹底した負けず嫌いが出せてることに気づいて、いいことじゃないかなと感じています。
私はずっと、こういう自分が見たかった。誇りに満ちて悔しくて前進する。それが必要なことだったんだ、今はそう思います。
私は今の自分を、全面的に肯定しているのです。未熟で未完成な点も含めて、精一杯今やれることをできているから、私は今までより、自分のことを認めるようになりました。それだけでも、大きな収穫だと感じます。

そんなわけで、最初はとにかく「なんでなんだろ?ほんとにココなのかな?」って不思議だったし、今まで守られて安全に暮らしてきた日本を離れて外国へ行くのは正直不安でたまらないと感じていて、この一年弱はずっとその気持ちと戦ったり、受け入れたり…。今でも、怖い部分は当然あります。未知の可能性とは、常にそういうものだからです。
だけど、ここを選んだことは間違いじゃなかった。その証拠がもう出てるんです。私は少なくとも、プラハに受け入れられ、ここに来ていいよ、学んでみなさいって言ってもらえているんです。契約書がちゃんと出されているのです。
だから考えてみれば、自分が自分の人生に対して鼻が利くのは当然なんだよな、と今になって思っています。
だって、これはわたしの人生なんだから。
今、ここだ、と思ったものを着実に叶えていけば、自分の目指すものにたどり着くのは、
当然のことなんじゃ、ないでしょうか。


だから、誇りを持って、どんなこともエネルギーに変えて、みんなで助け合って、楽しんで、自分の実力をガッツンガッツン増やして結果を出していきたいと思っています。


そして、今こうしていられるのは、様々に助けてくれた沢山の関係者の皆さんや大切な友人たち、大切な家族。
そしてとりわけ、プラハで私を八面六臂の活躍で助け、支えてくれている、ゆみとペトルのおかげです。
本当に言い表せないほどの感謝と、愛を感じています。
ほんとうにほんとうに、ありがとう。
私がいつか、あなたを支えていてよかったって言ってもらえるように、私に来ていいよと言ってくれたプラハにも、関わる全ての人たちにも‥家族にも。喜び楽しんでもらえるような良いものを、作っていきたいなぁと
魂を燃やしています。

最後に、今、私が一番強く感じていること。

『これは夢なんかじゃない。現実なんだ』











追記;
http://tebineri.blogspot.cz/2017/10/umprum-vsup-study-at-umprum-vsup.html
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