手書きの魔法と、命を持った本


出たんですよーーーーーーーーーーーーー本!!!!!!!!!!!!
出ました…………はい。
生まれて初めて、フルで、一冊まるごと頭から尾っぽの先まで全部に自分の絵が入った本です。
すごいです。ありがたいです。
チェコ語タイトルは『Kouzlo Psane Rukou』、日本語にするとしたら『手書きの魔法』…といった感じでしょうか。

この本のすごいところは、単独で読んでも高いクオリティを誇る本当に面白い物語と、西洋カリグラフィーの基礎となる動きから実際に綺麗な文字を書くまでに至るハンドライティングのトレーニングが全く違和感なく同居しているところで、それは「魔法陣や魔法の言葉は、常に杖で空間に、手で書かれきた。あれはカリグラフィーそのものだ」という作者のニコラの哲学が、そのままこの、魔法と不思議な冒険、世界を守る少女の戦いと楽しくてカラフルな道中、そして人間関係の苦さや大きな愛に至るまでのテーマに、全てが自然と溶け込み、組み込まれているからなのです。

私もニコラも、後で判明しましたが本のデザイナーまでも小さい頃、「子ども向けのコンテンツ」に満足できない子どもでした。
だから、この本を作る話を最初にもらった時から、私たちのコンセプトは「子供騙しが通用しない本であること」でした。そうでなければ、子供の頃の私たちがこの本を読めば、鼻で笑ったでしょうから。
私たち自身がそういう子供だったからこそ、「本物を」届けながら、「自分の手で字を書くことは、怖くない。うまく書くことが目的じゃない。あなたという存在が、あなたのままで書くことが最も大切なのだ」というテーマを、伝えているのです。
かくして、私たちはこのコンセプトを貫きつつ、編集部と素晴らしいデザイナーがこの本の示し方をとことんまで考えてくれて、今のこの本としてリリースされることになりました。




このキュートな子供が主人公のミラちゃんです。
内面が、すごく共感できます。
PCやスマホの普及により、手書きで文字を書くことが殆どなくなってしまったのは万国共通で、ミラもまた、手で文字を書くなんてとてもできない、絶対に無理だから誰かにこの任務を肩代わりしてもらおう、と思って旅を始めるのです。



これは彼女が「師匠」と思える人と出会ったときのシーンなのですが、それがなんと、日本の女性なのです。
あー。日本の皆さんにも読んでもらいたい…





これは冒頭部、世界の「創造性」を司る女性が、敵である「King of Sameness」に消されてしまうシーンなんですけど、子供向けの本に抽象画を要求されるとは誰が思ったでしょうか。
これは、当初はその予定じゃなかったのですが、ニコラの書き上げた物語と文章力があまりにも完成度が高かったため、編集部が「子供向けだけど、大人でも違和感なく手に取れる本にしよう」と決めたからなのです。
これのおかげで、表紙のデザインも一部変わって、堂々たるユニコーンが単独で表紙を飾ることとなりました。



こうした経緯もあり、絵自体は2019年の夏の丸四ヶ月、生命力を削り取って仕上げ、さらに追加で抽象画やイメージなどを大小含めて10枚以上追加で2020年2〜3月に追加して仕上げ、やっと5月に出版となったわけです。本来は2019年のクリスマス前に出版の予定だったものですが、これは時間をかける必要がある、と関係者全員で同意してのものでした。

チェコは書店に流通するのもそれほど早くないのと、コロナのこの状況もあってか、書店に並ぶスピードはぼちぼちでしたが、初めて書店で平積みにされている本を見たとき、そして明らかに周りの本より減っていたのを見たとき、誰かが……買っていった…………となんか…じーんとしました。

 




さて。
これは個人的な思いなのですが、私としては「自分の絵が印刷されて出版される」ということは、もちろん、人生における一つの、絶対に実現したい夢というか、目標の一つでした。もちろん、この後ももっといろんな形で行いたいわけですが、それはさておき、やっと、私のほんとうの夢が一つ、ここで実現したことになります。私が絵一本に絞ってから、実に20年目の出来事なのです。
絵を始めた時から、私の中にあるキーワードは、実は一つしかありません。
「生きている絵」です。
一枚の絵には、その生命の前後が全て含まれていて、そのうちの一つを切り取ったにすぎないこと、一枚のその絵の中に生命が存在することを感じてもらわなければ意味がない、という、感覚。です。
感覚としか言いようがなく、受け取り手次第でもある部分でもあって、なんとも言えないので、似たような感性の人がそう言った場合はそれが成功していると判別する以外ないものですが、ともかく、それなのです。

それともう一つ、少し特殊かもしれないと思った自分の感覚があって、それは「美術と印刷物には特に違いはない」という信念です。
言葉通りに取ると誤解されると思いますので、説明します。
もちろん、美術品としての原画、一点モノには、そこにしかないリアルがあり、それを見なければ伝わらない真実があります。これはいくら写真を見たって伝わってきません。実物を見に出かけなければなりません。
弱みは、通常は買い手がそれを買ったら、その体験は展示以外では所持者にしか伝わらないところです。
印刷物にとってのリアルとは、「印刷されたものが原画」であるため、例えば2000部刷られたら、単純計算で2000人の人が、全く同じクオリティの「原画」を手にすることができる、ということです。
私にとって、この二つの「原画」の状態は、その質、クオリティー、体験が、全く損なわれないものでなくてはならない、という信念があるのです。
信念というより、自分にとってはそれは事実でしかありません。妄想でも何でもなく、事実です。必ずしも現物として描画された、キャンバスや紙に油絵の具や墨で塗られた絵画である必要性というものは、この意味においては全く存在しないのです。なぜなら、印刷物の上でも、絵画は生きられる、と私は知っているからです。

そして、今回のこの本なのです。
今回、絵は全てデジタルペインティングで仕上げました。データで入稿し、デザイナーに色調補正の一切を任せました。
本が印刷・製本され、最初に編集部に届いたときの担当編集者のコメントがまず
「ものすごく美しい。表紙のユニコーンが、まるで生きているようだ」と。
それを聞いて、ふんふん、そうでしょうね、と思ってはいたんですが、実際に自分も献本をもらい、家についていざ本を出したとき、その仕上がりに驚きました。


ほんとうに神さまがいるみたい…
というのが、私の第一印象でした。

いやー、A4サイズの本ですから、もともと迫力は半端ないんですけども。
印刷されたことによって、さらに細部まで美しくて、粒子が迫ってきて、
この重みと質感と存在感は、いったい何だろう?と
自分で描いておいて何なんですけど、何だろう?て思ってたんです。ほんとに。
これはそれこそデータや写真をいくら眺めても、この実感は得られません。実物の本が手元に届いて、自分の手で持って初めて、この体験は与えられるものです。現に作者の私ですら、現物の本として印刷されて手元に来るまで、ここまでのライブ感はなかったからです。この点において、「原画」はやはり、生きられる。と実感しました。

部屋に毎日飾っておいたら、だんだん出版された実感が湧いてきたんですが、
この本の神聖さと親しみやすさの両立した感覚は一切薄れることがなくて。



紙が今回、コーティングされていない、生の紙に近いものなのです。中身も。
直接ストローク練習を書き込むことも想定してるので、そういうコンセプトにしたのですが、
ちょっとこすったら傷や汚れのつくこの繊細さも、
コーティングされてないからこそのきめ細かい毛羽立ちも、
私が実際にパステル画を描いてた時に愛用していた紙の質感と全く一緒で。
紙を決めたのはニコラなんですが、私の好みともピッタリだったのでもちろん賛成していたのですが、実際にこうして仕上がってみると、あまりにもぴったりで、驚きました。

コロナの影響で、日本ではEMSの発送ができず、チェコから日本には送れたのですがすごく時間がかかり、昨日、三週間以上かかってやっと実家の母のところに届きました。
母は私の絵をずっと見守ってくれていて、自分の心で受け止めるタイプの人なのですが、この母が開口一番、この本の表紙について「本に生命というか命というか、魂?を感じたのは、多分初めてだ。親バカかもしれないけど…」とコメントしたのです。
それで、あっそうか、この迫力とか質感って、命ってことなのか。と。

本に命なんて馬鹿げてると思う人は、思えばいいんですけど、自分や他の人が感じたことを率直に言うならば、この本の持つ生命を、私はどうやら、絵にできたみたいなんです。
もちろん、この絵が描けたのは、ニコラの作品が素晴らしかったからです。
この物語、登場人物、世界観、全てが私を揺り動かし、感動させたからです。
それにふさわしいもの、この本を体現するものを示せば、これを見た人やこれに惹かれる人はまったく自然にこの本を手に取れるから。
それがイラストレーターの私の仕事だから、そうしただけです。
でも、できたみたいです。

それからはっと、気づいたわけです。
20歳で、私が「自分の絵」が始まった、と感じた、その時からずっと目指してきた、こうでなければと思っていたことは「生命を持った絵」だ、ということだった、と。
私が達成した夢はすなわち、ただ「絵が印刷された本が出た」ではなく、自分が絶対にこうでなければ、譲れない、と思っていた「自分の仕事」が、できた。という意味だったのです。

ニコラとの出会いと、育んできた絆もありますが、友人と仕事をするというのは想像するより大変なものです。
しかし、本当に心から尊敬できる友達のことを、今回の仕事を通してさらに尊敬しました。
彼女は人としても、書き手としても、素直で愛にあふれ冷静で公平で、真実と本物の自分であることを妥協することなく追求し、誰もが読みやすい形に仕上げるという難しい仕事に成功しました。
彼女の生きる哲学に私の存在も共鳴して、これを生むことができたのです。
感謝しかありません。

最後に思うこと。
この本には、お役目があり、この本を読んだチェコの人を、もう既にこの本は救っているはずです。行き場のない、理解者の得られない、誰にもわかってもらえなかったことを、この本がわかってくれたという人が、既に出ているはず。そして、これからも出るはずです。
願わくば、この本が多くの方に届き、必要な人の心に、穏やかに力強く、届きますように。



追伸。
本の断面が虹色で、きれいです。わー。
ええもんできたぁ…。。






絵における自己表現の始まりと形成/自分の場合。

文字ばっかりのブログでーす。


小学生の頃、私は「絵が苦手」でした。
理由は、自分が絵が下手だと知っていたからです。
私の性格は幼少期から変わっておらず、常に自分の知る最高レベルのものと自分を比べる習慣があります。私は大人に比べて絵が下手だったので、絵が嫌いでした。少なくとも、自分が描きたいと願っている内容を自分が表現できていないことを知ってしまえば、嫌いになるのは容易でした。
特に学校の図画工作は大嫌いで、工作に至っては強いられていると感じていました。
でも、たぶん絵は好きだったのでしょう。自分が下手でさえなければ。
ただ、上手くなる方法もつかめないままでした。

私に絵の楽しさやコツをそっと教えてくれたのは、いつも母でした。
学校の先生に何かを習った記憶は一切なく、つまらないという記憶しかないので、わたしの絵の師匠は確実に、母なのです。
一番最初の記憶は、大嫌いな写生大会から帰ってきて、しぶしぶ公園の木に加筆しているときでした。
「こうしたら、もっとリアルに見えるよ」と、母はほんの少しだけ描き入れてくれたのですが、見違えるようにほんものの木に近づいたのを、今でも覚えています。そんなちょっとしたことでできるの!?という感じでした。
まだ、木を描くのが楽しいという感情はありませんでしたが、苦手意識がほんの一瞬だけ取り去られた最初の時でした。

その後、中二の修学旅行後に作ったポスターで図柄や構図が決まらずうんうん唸っていたら、母がひょいっと来て自分が持っている図案集を置いていき、構図についてささっとコメントして帰っていったんですが(母のすごいところは、決して押し付けないのです)、それでやりたいことがやりたい放題できる構図を見つけてしまい、うわぁ、楽しい!!!!となったのがその、中二なんです。
美術ってやりたい放題やるということなのか!自分がいいと思うものをやりたいようにやることなのか!!と気づいた私は、それ以降、「課題を無視してでも好きなものを作るとうまくいく」ことに気づいてしまい、大学入試時にはそれを天然でやらかして落ちるなどしましたが、まぁ無事に合格できたしいいでしょう…。
つまり、「自己表現」が目覚めたのは、確実に、この時なのです。

母はこの二つのみならず、どういうわけだか、私が絵に興味を示すと、それに関する書籍をぽつぽつと、いや、ぽつぽつというにはかなり熱心に、必要な本を買い与えてくれていました。当時私はバレエを週六日やってた状態で、誰も私が絵を描く人間になるとは予想してなかったわけですが、文化に関することには母は惜しみなく助力してくれていて、それは今に至るまで一貫しています。
あの時に買ってくれた色彩学の本を隅から隅まで読み続け、色というシステムや捉え方の基礎が出来上がったおかげでその後色のことで悩んだことは一度もないのですが、今思えばあそこで一生使える基礎を作ってしまったのだと思います。今でもそらで覚えている箇所がいくつもあります。もちろん実物の本が実家にまだありますね。
それから、実地的な描き方の本みたいなものもかなり買ってくれていました。パステル画の本や鉛筆画の本は、カラーと白黒の世界を別々に自分の中でそれぞれ確立するのにすごい影響を与えたのではないか、と今になって気づきました。
例えばパステル画の本は、後にソフトパステルに変えて自分の主戦力の一つになったのですが、この時使っていたハードパステルでの知識は全部の基礎になってたと思います。。母が持っていた48色セットのハードパステルを「借り」て(完全に実質私物化しましたが)(母のものは俺のもの状態で使い込むのが常でした)本のエクササイズを全て練習し、最後に自分の中にあった風景を突然、描きました。夕暮れの神殿の石造りの階段に座る巫女のような尼僧のような女性の姿でした。
これを見て、娘が絵描きになることを反対し続けていた頑固ジジイの母方のおじいちゃんが「さすが俺の孫だ」と言ったらしい、という一言は後に我が家で伝説になったものでした。じいちゃん、昔ながらの職人ジジイだったけど、ほんとは娘も孫も溺愛だったんだよな…。絵描きを志し、挫折し、富山に戻って看板屋になったじいちゃんは超絶お絵かきお上手マンで、その娘のわたしの母も絵も彫刻もデザインもという才女だったのですが、じいちゃんに「絵でなんか食っていけないぞ」とこんこんと諭され続けてその道は志さず、なぜかその娘の私にそういうのが発現したんですね。余談でした。

そんなわけで、わたしが絵が好きになったのは、「自己表現」という感覚が突然生まれたその瞬間からでした。
これまたなぜだかはっきり覚えてるんですが、私の自我は中二の夏休み明けに突然目覚めました。休み明け、見渡したクラスメイトたちがあまりにも何にも気づかず何も考えていないことに突然気づいてしまい、あれ?世界ってこんなだったか?と、足元がぐにゃりと歪んだような感じになったのです。その夏休みで身長も8cm伸びてるんですよね、男子か…。男子並みか…。そういうのもあって、いろんな意味で視界が完全に変わったのが、中二の夏休み。あんまり嬉しくはなかったですね。でも、あそこから今に至るまでの意識はひとつながりです。


そんなことをね、いま、絵本の制作をしながら突然思い出したんです。。
今回この制作はすごく不思議で、今佳境を迎えているんですが、どんどん、昔の自分が好きだったもの、今の自分を作った原点の記憶が蘇り、今に結びついてきてるんですよね。
具体的に言うと、音楽が特に大きいです。高校生の頃、ライブハウスに通い始めるきっかけになったバンドの音楽を突然思い出してYoutubeで漁って「あの曲が一番いいのにない!!実家戻ったら全CD読み込むぞーーー」てなったりとかしてます。
なんだろ、これまた中学生時代ぐらいからはっきりと、自分が何を求めるか、を軸に音楽を聴き始めて、中3ですでにインダストリアル自分で作ろうと志して高校入学祝い握りしめてシーケンサーつきシンセ買ったぐらいはっきりしてたんですけど(15歳が楽器屋行って、店員のにいちゃんにやりたい方向性聞かれてインダストリアルですって言ったら二度見されたんですが買いましたKORGちゃん懐かしい…)(ちなみに他のやりたいことが多すぎて手が回らず、バンドやってる友達に後に譲りました。20kgをかついで帰ったあの子…元気かな…)
余談が過ぎるんですが、そんなわけでなぜだか、そう。高校生の頃、とにかくずっとずっとずっと聞いてた一番好きだった音楽たち…に戻ってきています。いっぺんにじゃなくて、なんか、ちゃんと順番に来るんですよね。不思議ですね。
先月Soft Balletの偉大さを思い出して聴きまくり、こないだはHal From Apollo '69を聴きまくり(今も)。20歳前後にライブハウスめっちゃ通って聞いてた音楽もです。
生理的な、この世界という概念が形作られていった時期の、世界に対する基礎生理感覚があそこで発生してる感じというか。
森を描くときはSunkingの「糺の森」を聞く、とか。
なんかこう、テーマソングが自分の中にすごいあるんだな…て今になって強く感じています。
原点の音楽は自分の世界観にフィットしてて、それを担っていて、絵を描くとき、一番大事なのってそこなのかな、と。生理的にそういう風に感じたんじゃないかな…と。

イラストレーションは自分にとって、なんかちょっと不思議な立ち位置にあって。実のところ最近、というか今年、ちょっとアートの方の自分に行き詰まりを感じていたので、今しかできないことがイラストレーションだったところへちょうどこのプロジェクトが入ってきたので、今これに全力を出す!!てなって、やってるうちに、何かまたいろんな側面が見えてきて…。
ものすごくいい本になることは間違いないんですが、締め切り直前時期の今、大いなる謎が一つずつ解けてきてるというか、自分たちでも実際にそうなるまで分からなかったことを見つけていってるので、いやー、なんだろ。すごいね。
締切は怖いんですけどね。そりゃ十分にもう、恐怖ではあるんですが。
それ以上に、やれるだけやれる今が楽しいですね。
ありがてえなぁ。
日本でも出版されたらいいよね…て話はしてるんですが、いやはや、どうなりますか。
といったところです。


アナログとデジタルの現在の折衷


なんかどこにも書いとくとこないので、やむにやまれずここに覚え書き。

iPad Pro、これ語りだすと長くなるんですけど、私はMacを使い始めた頃から、もっと具体的に言えば初代iPadが出た時から、今のこのiPadProを待ってたんだと思う。というぐらいの使い心地。iPadには、本格的に絵が描けるはずなんだよ、ってずっと、思ってて。でもベクター線しか引けなくて。。ベクターでも結構落書きはしてましたけどね、本チャンは任せられないわけで…。
ところが、時代って、待ってればテクノロジー追いつくのな。すごいですよね。というわけで昨年末に、最新のではなく一世代前のですがiPadProを入手しまして、それまでも板タブや液タブでも制作はちょこちょこしていたんですけど、それは完全にお遊びとしてとか、実用できないかな…とめちゃくちゃ試行錯誤しつつも本格的にではなかった…のですが。
今回、ありがたいことに出版される絵本の仕事となり、いろいろ内容とか求められる技術を鑑みた結果、仕上げはデジタルで行うことになるな、と。
だったら最初からデジタルで描いてしまえ、と。

とはいえ、本がハンドライティングの本で、直接本に書き込んだりもするので、やっぱり現物の感覚は実際の大きさでしか感覚的につかめず、かといって原画をアナログで仕上げる根気はもうない!(爽)
ということで、まだ1枚目仕上がってるわけじゃないんだけど、かなりのとこまで来たので現時点での状況。

スケッチ、構図練り…原寸のスケッチブック
着彩用の本下書き…原寸の水彩紙に鉛筆
本番原稿…iPadPro12.9インチでプロクリエイト(ArtSetにしかないブラシを一部使いたい時はレイヤーごと無理やりえいやっとした)

です。
各種別デバイスやPCで資料写真を集めたり見たりしながら細部を詰めていって、塗りが進むごとに確認しつつ詰めてって…という作業を今やってるところ。
要素の多い本なので、元々の気質が一発書き体質の私にはしんどいはしんどいんですけど、これはすごく楽しくてですね…。うん。
とにかく、進めてまいります。

(いや本当、ガチの締切ってもの自体が恐らくこっちの大学院卒業以来なのでなんかいろいろと感覚忘れてて、いろいろと戸惑った…)

チェコの外国人警察事情・2018現在

先日、チェコの外国人警察はヤバい!みたいな話しかネットにない、と小耳に挟んだので、最近の外国人警察事情を書きます。

結論から言うと「全然そんなことないです。むしろどんどん改善してる。先進国よりよっぽど優しいと思う」。

私も外国人として滞在してますから、もちろんビザ(正確には長期滞在許可証なんですが、書くのが長くてめんどいので以下ビザ)の苦労はしています。でも、ビザあっての私たち外国人が滞在できるのですから、これはやるしかない。

・外国人警察事情も、最近は本当に改善されました。
今は事前に予約もできますし、予約も以前は電話オンリーチェコ語オンリーでしたが、今はオンラインリザベーション(https://frs.gov.cz)が誰にでも可能です。アカウント作ってオンラインで予約し、その時間に行って端末で自分の名前の番号札を出したら、あとは番号が呼ばれたら窓口に行くだけ。時間のロスが極限まで減りました。
窓口の人も、ずいぶん英語も話してくれるようになりました。学生専用の警察には日本びいきの方もいるようで、日本語で話しかけてくれたりとずいぶん親切なようです!もっと気楽に行って大丈夫です。

・そして私のような「特殊なケース」(ただの個人事業主滞在者なのですが、あまり数が多くないから…らしい)の場合、特別窓口という部門がちゃんとあります。私は英語でメールを送ったら、Letnaにあるその部署からものっすごい美しい英語でリザベーションお取りしますという返事が来て、そこに行ったら瞬殺で用事が済み、非常に速やかにビザが発給されました。いやもう、びっくりしました。。この体験があまりにも大変だったのでどこにも今まで書いてなかったんですが…、個人事業主の方はLetnaの警察に行けば一発だ、と覚えといてください。それでオールOK。本当に仕事のできる人たちがあそこには揃ってます、心配しなくていいです。ブリッジビザも速攻で出ます。楽勝です。安心。。私は最初の2年間、普通の区で割り振られた警察行ってたけど本当にうまくいかず最終的に「3日しか有効期間がないビザですが、出しますか」と言われるという。しかもあっちのミスで…。(上層部のミスは下層部では覆せないので窓口の人には何もできない)あの時は究極の選択迫られました。が、もうここではダメだ、とりあえず出してもらって別の警察で仕切り直そう。ととっさに決意し、3日でいいです、と出してもらって、それを持って英語で案内が来たLetnaの方に行ったら一発、でした。
足りない書類とか、何が必要とかもあっちが言ってくれるので、それに従ってればOKです。自信もって!


・あと「チェコは他の国よりマシ」とする根拠ですが、比べる先がちょっと悪いかもしれませんが、例えばフランスとかは、フランス語きちんと喋ってるのに「あらごめんなさい、発音が悪くて何て言ってるのか分からなかったわ…」みたいなこと普通に言われるそうです。……怖いですね。チェコなんて、がんばってチェコ語喋ったらめっちゃ親切にしてくれるもんね…。英語も若い人は簡単な会話ぐらいならわりとできるんで、数年前までのように、なんかもうにっちもさっちもいかなくて挙げ句の果てに怒られる、みたいなことは本当になくなりましたね…。
それと例えばアメリカなどは、1日でも許可証の有効期限を過ぎてしまったら、一歩アメリカを出たらもう二度と入国できないぐらいのブラックリストに即入ります。なので、アメリカ国内で国に帰れない人は本当にたくさんいるそうです。厳しすぎると思いますか?でも、全ての外国人にゆるゆるのルールを適用してたら、国が成り立つと思いますか?特にアメリカは外国人が多いですから、厳しいのも普通の措置なのだろうと思います。
それに比べれば、チェコは小さな国なのもあり、まだ優しくてゆるい部分があります。期限が過ぎたら普通には受け付けてはもらえないものの、嘆願書だとか、真面目にしてますから!みたいな手紙を出せば、過ぎたのが3〜4日であれば間に合うこともよくあるようです。もちろん、それ以上過ぎたらもう、ブラックリストになります。外国人なのですから、滞在申請ぐらいはきちんとしましょう。私たちは「居させてもらってる」立場です。きちんと申請に行くぐらい、当たり前なのですから。

・私は、ほとんどの場合は一人で行ってます。本当に分からないとき、ヤバいとき、複雑すぎてどうにもならなそうな時だけ友人に一緒に行ってチェコ語で聞いてもらってました。でも今は本当に改善されてます!単純に必要書類揃ってて出しに行くだけなら、かなり早く出るようになりましたよ。

・ただ、早くといっても1〜2ヶ月は普通です。3〜4ヶ月かかる場合もありますが、それを急かすことは不可能なので、ただ待つだけになります。滞在は合法ですのでご安心を(次項目参照)。
私のビジネスビザ申請も、書類を出してから半年以上音沙汰がなく、「プロセスを早めてください申請」の書類を送ってやっとさらに1ヶ月後に返事が来る、とか(そして「この書類が足りない」と言われるイタチごっこ)はザラでした。そういう場合は促進願い出してつっつきましょう。ブリッジビザを取りに行ったついでに「今わたしのビザの申請状況どうなってますか」って聞くのも良いです、促進がてらになります。

・滞在許可証申請中は、手元にIDカードがないからといっても、ご安心を。合法です。「今、申請中です」というデータ状態になっているので、あなたは合法的にEUに滞在しております。でもチェコ国外へ旅行に出る時には、ブリッジビザが必要になりますので、警察にメールを出したり予約を取ったりして「ブリッジビザ出してください」とお願いしましょう。すぐ出るよ。
ちなみにチェコ語ではPřeklenovací štítekと言います。Potřebuju překlenovací štítku, prosím.と言ったり書いたりしましょう。

以上です!頑張っていこ!!

godzmekano vol.1 / ゴズメカノ第一回

開催から半年ほど経ちましたが、この度やっとアーカイブ用ウェブページも準備できましたので、このタイミングにて今年1月に無事行われましたゴズメカノの当日の感想や、描きながら見ていたもの、感じていたことなどをまとめてみました。


◯このライブは全てインプロビゼーション、一切準備しない、その場の本人たち同士の響きあったもの、反響しあったものが紙にその場で落とし込まれていく、という不思議な磁場。お互いの表現物への信頼がなければできないことですし、何か「通ずるもの」があるという感覚と、何も決まっていないインプロビゼーションという生モノを乗り切れる内的強靭さを持ってる人だという確信も必要だったりします。さらにはやりたくてもその時の私生活の状態やらで不可能なことも多々あるわけですから、これがすんなり成立したこと自体もなかなかの奇跡です。
その他準備に必要ないろいろなものが本当にスイスイと決まっていき、こんなにサクッと決まることもあるのか…と思うほどの順調な第一回を無事に行うことができました。
ひとまず1回目はこじんまりした場所でやろうか、ということで借りた場所があまりにも小さかったのは若干想定外だったのですが、結果的には来場者の皆さんに見守られながら、最もよい形で第一歩を踏み出せたような…そんな気が、私はしました。


◯当日見た方や映像を見ていただいた方は分かるかと思うのですが、基本的には私は「紙の中に誰かが埋まっている」のを「掘り出す」作業、みたいな感じで描いています。印画紙に手動でプリントアウトするような感じ。普段も基本これです。何を描くかは私の知らないところで既に出来上がっている、というような感覚が常にあります。また、そういう絵でないと自分が満足できないということに20歳の時に気がついてから、そうしています。
例えば石の塊を見るとそこにいる存在がもう見えてて、それを掘り出すだけだと言ったミケランジェロを引き合いに出すのはおこがましいかもしれませんが、アーティストにはある一定の割合でそういうタイプがいるんじゃないかと思います。で、私はそのタイプなのです。紙の繊維の中に紛れ込んでるような感じがするので、そこにピントを合わせると、絵が出てくる、というような。で、見つけた時点では、それが誰なのか、何なのかなどは私には分かりません。ただその存在が、ビジュアルで「この画面のここに、このぐらいの濃度のこの色で、こういう形のタッチを置いてください」と頭の中に指示を出してくるのです。で、それに従ってそれを置くと、その次はこう、次はこれ、というのが勝手に導かれていくというのを途切れることなく次々にやっていき、「指示」が途切れてあっ終わったな、と思ったら最後に全体を眺めて、ちょっとだけちょんちょん、と整えたら、それでその絵は完成です。それ以上でもそれ以下でも、私の絵ではなくなります。

私は常にこの描き方なので何を描いてもライブみたいなものなのですが、今回はいわたさんの音があるという非常に特別な状況なので、この音が刺激して紙の中からアピールしてきたものは全て出し切ろうと思いました。事前に何も計画はできませんから、とにかく、集中力との闘いです。計画するとつまらない絵しか描けないタイプなのもありますし、計画してるんなら勝手に絵描いて個展やれよ…て話だと思うので、ライブでは絶対に裸一貫で舞台に上がるというのだけは決めています。

また、今回キャンバスの大きさを決めるのが自分の中で少し難航しました。以前ドラマーとやっていたライブでは、大きな一枚のキャンバス(というか襖)を用意して「1ライブで1枚」仕上げる形でしたが、今回は墨やインクを使いたい都合上、大きな紙を用意して立てかけて描くことは現実的ではありませんでした。
そのため、水張りしたパネルの大きさや紙違い、複数の種類の四辺天糊の水彩紙ブロックを用意して、描き終わったものをドライヤーで裏で乾かしてまた戻してもらうことで、紙を常に選び放題にしながら描き続けるシステムを思いつき、これのおかげでライブが実現しました。
枚数も当日、どのぐらい描いたら満足するもんなのか、1ライブの間に自分がどのぐらいの大きさのものどういう密度で描きたいと感じるかなど全く予測できない状態でしたので、とにかく後悔だけはしないようにと、チェコからもかなりの数の水彩紙ブロックや画材を持ち帰り、実家ではせっせと大きめのパネルに水張りをして準備しました。
果たして当日は、水張りパネル(A2サイズ)が二つ、木炭紙大が一つ、四辺が20〜40cmほどの水彩紙ブロック複数を好き放題に使える状態にできたので、非常に良かったと思います。

課題としては、手元を写すカメラが固定だったために動き回ると手元が見えないことが多かったので、可能であれば次回からは手元を写してくれる方に手伝っていただけたら…と。遠くからでも見える大きなキャンバスではなくなった以上、これはクリアすべき点だと思います。



◯で、心構えとしましては…。まぁこの初々しかった感覚も初回限りかもしれないので書いときたいんですけど、もともと私は本当にいわたさんの一ファンにすぎないと思ってまして、でもいわたさんも気づけば毎回私の東京での個展に来てくれてたりとかしてたので芸術家としてはちゃんと対等な関係を保ってきたのだなと今になったら分かってはいるんですけど、やっぱり一緒にやる第一回目の前ですから、緊張しましたよ。家出る時とかそこそこガチガチでしたよ。だって、想像してみてください。あなたがベリーヤングな時代から憧れていた大好きなバンドのもういわばロックスタァーとあなたが一緒に仕事をすることになったとしたら、ですよ。いやそりゃまず第一に楽しみだしワクワクですけど、緊張だってそりゃしますよね?
しますよね??????
しますよね!?!?!?!?!?!?!?!?!
しました。(報告)
というわけで私としてはわりと珍しく、家を出て会場について、開場30分前にいわたさんがリハの音出しを始めるまで、緊張は相当、してました。(報告)
(報告終わり)


なんですけど、いわたさんがリハでたったの一音出した瞬間に、そんなものも全て吹き飛びまして。
なんか、音聞いた瞬間に、気づいたんですよね。
あ、なんだ、この大好きな音の世界が今日の全てなんだから、ここで私は自由に泳げばいいんだ、と。
そこからは、私は終始笑顔でした。
澄んだあたたかい水の中で、ずっと泳いでいるような。晴れた日の浅瀬の海の中から、水色の空を眺めているような。そんな感覚でした。
瑞々しく、呼吸ができて、やるべきことが全てできる環境がそこにありました。



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◯ここからは当日の流れのレポです!
フルバージョンの動画を見ながら読んでも面白いかもしれません。
絵を描きながら私の中に見えてたものとか、追ってた「何か」とかのことをまとめてみました。



始まりの瞬間は、またしてもたったの一音でした。
30分ぐらいつらつらといわたさんが調整しながら弾いてる間に私も準備を済ませ、開演時間がやってきまして、お客さんもつらつらと入ってきて、という自由空間の中、
それはごく自然に、やってきました。
ふわーっと撫でている感じだった音からある瞬間ふと、ぴん、と張り詰めた音が一音、出たのです。

その瞬間、あ、来た。と思いまして。即座に私の中の何かが反応し、ほとんどその直後に描き始めました。
気づいたら突然私が描き始めたので、スタッフ氏もびっくりしたと思います。なのでフル録画の始まりが突然始まってるのは、多分そのせいかと…。


というわけで、あっ来た、と思った瞬間にパネルを一つ出しましたらわりとすぐにビンゴでして、紙の中にいた「誰か」をすぐさま掘り出しにかかりました。


たっぷりの水を敷き、そこに黒のインクを泳がせるように右上あたりからの雲をフワフワヒラ、と降りてくるように描かされて、右下にいる男の子が姿を現しました。
君は、誰なんだ…と問いかけながら描いてると、建物の四角いシルエットや、木々が現れました。彼は街にいるようなのです。
街にいて、孤独で、孤立はしていないけれど、闘うためにそこに立っている、都会の男の子。
霞の中にぼんやりと、でも何かを持ってこちらを見ていた、一年前に描いたプラハの女の子と、似ているようで、対照的なようで。
左下からもう一人?一匹?誰かが出ようとしていましたが、あまり良い存在のようじゃなかったので、お前の出番はないよ、と少し、塗りつぶしました。
1枚目はそのようにして、空気を味わうように描きあがりました。


録画を自分で見てて面白かったのが、描き上がるとぱっと全体を一目見て、うん終わった。と思った瞬間に脇にどけて、すぐさま次の紙を見始めて、あ、また誰かいた。と思った瞬間に描き始めるんですね。ハンターですね。虫を捕まえるみたいな速度で描き始めるので面白かったです。
音がそこにあって、どんどん連れて行かれるのです。




2枚目は、この日下ろした新しい水彩紙ブロックのビニールをウキウキしながら剥がしたら(その場で…笑)、1枚目にグレーの水彩紙が保護のために張ってあって。剥がそうかなと思ったのですが、普通にそれも同じ質の水彩紙で、きれいだな…と思っていたら紙の中に「誰か」を確認したため、描き始めました。
描き始めた時は彼の年齢も正体も知りません。ただ、例えばこの絵は額とか鼻のラインから現れて、描いていくうちに、あ、おじいさんだ。と思うわけです。
さっきが水をたっぷり使ったものだったので、次はドライ筆でざくざく描いてましたね。なんとなく。
絵のタイトルは、イベントが終わった翌日あたりに、一枚ずつ見ながら心に自然に浮かんだキーワードや音から決めていったのですが、彼は老いたオイディプスだそうです。
(全く余談ですがこの時期は老人をよく描いていたような…)
星も散ってますし、なんだか魅力的な方でした。




それを描き終わって3枚目、これもわりと早かった気がします。あ、ここに埋まってる、紙のここに、このラインが、こう。でもう始めてました。
描いてるうち、音に包まれて、反応しあって、どんどん研ぎ澄まされていきます。どこかの世界へ、自分の意識も集中していきます。自分がどこにいるのかは分かりませんが、自分が何をしているのかは知っています。「対話」です。あちらの世界との。
この人は、多層的多次元的で、奥深い存在だった気がします。人間ではなく、何かの叡智、であった気がします。その人が、その方向へ進め。と言っていたので、描きながら「そっちってどっちの方向?どっちなの?どっち?」て聞いてました。(描く対象に、どう描いてほしいのかはっきり指示しろ、と言うことがあります。この日は描いてるスピードがものすごかったのもあって、頻発しました) で、こっちだよ。って手が出て来たので、そっちかぁ〜なるほどぉ〜てなって、この絵はちゃんと完成しました。何がなるほどなんだか私も分からないんですけど、なるほどぉ…って気持ちが納得したのでそうだったみたいです。よかったねぇ。


そして4枚め。
録画見てたら、音が自然と強いものに変わったのにほぼ同時に反応してこの絵が出て来てるのが、自分でも面白かったです。こんなに瞬時に反応してるんだ、と。
紙の中から出て来た人は、必死で声を抑えていました。怒りとそのことへの恐怖が、彼にそうさせているのです。彼はずっと、言うべきことを抑えてきました。言うとしたら、怒鳴ってしまうから。きっと壊してしまうから。自分は、誰かを許すことができないと思うから。
でも、怒りは限界です。もう彼には、これ以上堪えることはできません。
今、ガッチリ口元を押さえつけてきた大きな手を外すのは、彼の意思によって、行われるのです。
このようなタイプの絵を私は描くことがあります。その時は動画でも少し見れますがこのように、真っ黒なままの現役の黒のインクを使います。血液のように。
私の中には怒りがあり、それは力でもあり、精神の血液であり、沸騰を続けています。この怒りには理由はありますが、あまり個人的なものではありません。理由のない激しい怒り、全体的な「何か」に対する反抗心のようなものに近いのでしょうか…。彼の目が生きていることが、そのへんを代弁してるのかもしれません。



さて、結構充実した感じで4枚描いて、いや〜描いたねぇ〜、なんて言ってたところで、ここで手元でインクの瓶を倒して、机の上にインクこぼしたんですよねぇ。(爽)
ここまでけっこう、ギューッと凝縮して集中して描いてきたので、ちょっと遊びたい気分でもありました。こぼれたインクももったいない。使えばいいじゃない。そうそう、でっかい紙を用意してさ、そこに、どんどん使っていけばいいや。と、描いていったのがこの、5枚目です。
フェルトの下敷きはインクを下に通さないので慌てることもなく、のんびりとこぼれたインクを指で拾ったり筆で吸わせたりしながら、紙の上に舞わせていきました。
自由でリラックスした状態だったので、写真が良い感じのものが多かった気もします。音もとても気持ちよく、のびのびしていました。この絵は息抜きぐらいに思っていたのですが、さらさらと葉っぱが舞い散る秋のような、わりと好きな空気感のある絵です。


ここで問題の、6枚目です。
動画を見ていただくとお分かりかと思いますが、なかなか、描き始めないんですね。まぁ〜〜〜進まない。ここまでは、描き終わって次の紙を見るや否やぐらいの速度で描いていたので、お客さんたちも安心して見ていられたのではないかと思うんですが、この6枚目がね、なかなか出てこなくて。(録画を見ていた私は、当時の自分よりも胃が痛くなりました…。)
この時何が起きていたかというと、もう、例の「対話」です。
というのは、降りてこようとしていた「人」がいたのですが、後で思うとそれは私の知っている人ではなかったんです。いわたさんのとある深い関わりのある方で、私は一度もお会いしたことがなく、よく知らなかったので、図像化しづらかったみたいなんですよね。でも、どうしても形になりたいと。描いてほしいと。言うので、「いや、描いてほしいならもうちょっとくっきり出てほしいんだけど」と私は言うし、その人も精一杯「形」になろうとするのですが、いかんせんまだ時間が十分経っていなくて、うまくできないようで。私もなんとか出してあげたい気持ちはあるけど、もうあと少しだけなんとかしてくれないと、ここには出てこれないよ。どうするの。どうしてほしいの。と、紙の上をずっと見つめ続けたり、紙を縦位置と横位置を変えてみたりという時間が、一体どれぐらいあったのか…。(ライブやると大抵苦しい時間が一度はあるんですが、この日はここが最難関でした)長い長い見つめ合いの後に、やっと、とっかかりが見つかりました。大きな紙に、ごく大きなタッチで、ほとんど一筆書きのような仕上がりになりましたが、これが「その人」の精一杯の具現化だったのです。
コラボレーションにおいては、私が見たものも、いわたさんが経験したり感じたりしたものも、両方が合わさったものも出て来やすいですが、私側に全くいない人が出てくるということもあるのだな…と今回初めて知ることができました。といっても恐らくこの絵はイレギュラーだと思いますが…!かなり珍しい経験でした。




この苦しかった6枚目が終わって、7枚目はなんかもう、ラクガキでもすっか…みたいな気持ちでした。ここでライブが終われば見てる側の体力気力的にはラクだったろうなぁと思うのですが…最後の一滴まで絞り出さないと気が済まない性格でして…。。もう少々お付合い頂きました。
これは実は、音を聞きながら「ORANGE」という単語をタテに描いて、そこから描き始めていました。なぜかふっと、そういえばいわたさん、ORANGEってメーカーのアンプが好きって言ってたな。て思ったんですよ。私もそれ好きなんですけど。で、なんか、ORANGE…と描きながら、そのまま描いたらつまらないからねじねじしながら形を変えて、変えてったらなんかアバラ骨とか描きたくなったので、そのまま赴くままに人骨を描いてたら、一枚終わりました。これは「オレンジガール(ロボット)」って名前なんですが、ロボットなんです。かわいい。(女の子だと私は思っている)



それから別の紙に、くだんの6枚目の絵の続きみたいなものを「アチラ」からまたリクエストされたんですけど、えー本当?まだいくの?描いてほしいならはっきり出してよ?わかってんの?え?とか言いながら、水まで敷いたんですけど、描くに至らず。という絵が一枚出まして。これも…見てる側…特に…絵を描いてる人とかはこれ…ヒヤヒヤしたでしょう…ねぇ…。録画を見てるだけの私ですら胃が痛く(2度目)。
…と思ったんですけど母に聞いたら「いや、全然思わなかった」て言ってたので、これは見る人によるのかなぁ…。音と絵が連動してるのがすごくよく見えたから面白かった、と言ってました。もの作ってる友人はヒヤヒヤしたと言ってました。うーん人それぞれ。





でそれが結局描くに至らなかったんで、もう〜〜これで最後!これで全部のパネルとブロック見て、誰もいなかったら終わり!って思って、最後に総ざらいで全部の水彩紙ブロック見ていったら、あれ、い、居た……。………えっ、居た……。(二度見)いや二度見しましたよね…。いたわ…。もうしんどいから描くの終わりたいんだけども…。まぁ、いるんだから仕方がない。。この人を描いたら終わろう、と決めて、もう私もへろへろでしたし、いわたさんもへろへろだったとは思うんですけど(笑)、描き始めました。この子が終わったら本当にこれでもう終わり、この子が看取ってくれる。みたいな気持ち。ナイチンゲールみたいなとこあったかもな…イメージ。ドライ筆気味にどんどん描いていって、あ、この人で本当に今日を終わることができる、と確信しました。何か、安定感がありました。安心感というか…。この存在に見守られてたのかもしれないな…という感じ。録画を見てたら、いわたさんの音も突然急激に伸びやかになった瞬間があって、なんか、これか?な?て思いました。どうだったのでしょうね。

というわけで、無事に本日の分を終えることができました。
無事最後の一滴まで絞り切りました。
観てくださった皆様も、お疲れさまでございました…!

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◯というわけで、改めてこの日のことを、半年以上経った今でも昨日のことのように思い出すのですが…。
つい先日ふと、私の中で「まだ終わっていない」感覚であることに気づきました。確かに第一日目、第一回は終わったんですけど、まだやることが残っている…という感じで、私の中の深い部分に、ごく当たり前の顔をしてその感覚が宿っているのです。これがある以上は、機会を設けてしばらくやっていきたいなと思います。
さらに思い出したことには、本番が終わった後、いわたさんと二人で話していたら「次やる時はああしたいこうしたいとか思ってることが既に幾つかある」と言ってたんですよ、いわたさんも。なのでなんか多分、同じ気持ちなのかなと思うところがあるのです。
この日にやれることは全部やったのですが、ゴズメカノとして何かまだ、やることがまだまだある、というような…。それがコラボなのですかね。なんだか、不思議な感覚です。
もうやれること全部終わったなと思う日がいつか来るのか来ないのかは分かりませんが、それはそれとして、尊敬するアーティストと共同で何かを生み出すことのできるこの素晴らしい機会をこれからも、楽しみにしてくださる皆さんと分かち合っていけたら、本当に嬉しいです。


◯そして、当日手伝ってくれた私の大切な3人の友人は、本当に本当に素晴らしい働きをしてくれました。彼らが素晴らしい人物であることはもちろん承知の上でしたが、この日、さらに全員に惚れ直しました…。改めて、心から御礼を。ほんとにありがとう…!!!こころよく引き受けてくれて、全力でいろいろなことを手伝ってくれて、持ち前の優しさを今日もたくさんたくさん発揮してくれて、本当にありがとう。。。!みんな、最高でした。可能であればまたよろしくお願いします…!!


◯さて次回は、今のところ来年1月頃に東京で再度企画しようとしているところなのですが、さすがにハコを少し大きくしようと思っています。今回あまりにハコが小さかったので、ほとんど人を呼べなかったんですよね…。今回としてはこの環境は最高だったと思うのですが、次回、少し大きい場所を検討することにします。
もし機会が合いましたら、ぜひご覧いただければと思います。
それから、プラハ公演もやりたい…ので…!場や機会などが与えられるよう祈りつつ、活動を続けていきたいと思います。


ありがとうございました!!


當麻 ユキコ 2018年7月9日

Improvisation performance "godzmekano" vol.1 @Roppongi-flat, Tokyo on January 6th!

お知らせです!


godzmekano (ゴズメカノ) 20180106
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ギタリスト・イワタユウシと×画家&イラストレーター・當麻ユキコの、インプロビゼーションライブパフォーマンスです。
この2人でのパフォーマンスは今回が初となります。
全てその場のみで生まれる新しい音と画がひびき合い、「何か」が次々に生まれては浮かび、一つの流れを為してゆく一夜の光景を、どうぞお楽しみください。

出演 イワタユウシ/當麻ユキコ
日時 2018年1月6日 18:30 OPEN/START
料金 ¥2,000.-
会場 ロッポンギフラット http://roppongiflat.com
〒106-0032 東京都港区六本木7-18-13 金子第一ビル2F 酒のカクヤス2階
日比谷駅六本木2番出口から徒歩1分 / 大江戸線六本木駅4b出口から徒歩3分 / 千代田線乃木坂駅5番出口から徒歩7分

・18:30の開場と同時に音楽から徐々に始まっています。順次入場をご案内します。
・全体で1時間〜1時間半程度(予定)となります。
・会場でのドリンク販売はありません。お好きなお飲物を各自ご用意ください。
・会場内は自由に動いてOKです。お好きなところに座ったり立ったり歩いたり、ステージや絵を見に行ったりしてご覧ください。ただし演者や他のお客様に過度に邪魔にならないようご注意ください。

お申し込み…こちらのチケット予約フォームをご利用ください。
フォームにご記入いただいたお名前で当日、受付にて入場料をお支払いください。

お問い合わせはsurgedrv@gmail.com (イワタ)、または各個人までお気軽にどうぞ。

皆さまのお越しを心よりお待ちしてます!



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思い。


20歳の時、最初にイワタさんが所属するSUNKINGのライブを見たその瞬間から、彼の出す音が大好きでした。
あたたかくて、鋭くて、細部に至るまで天才的であり、とても自由で軽やかであり、しかし圧倒的なパワーも持ち合わせるイワタさんの音には、とにかく常に魅了されてきました。
その本質はとても言葉で言いあらわせるものではありませんが、私が何故彼の音が好きなのか、その正体の一端は恐らく今回このライブで少しは明らかになるのではないかと思うのです。
なぜなら全てをインスピレーションの会話だけで進めていくこの即興ライブというものは、相手とのタイマン勝負であり、同時に最も深く相手の核へと踏み込んでいく手段でもあるからです。
それは常に双方向ですから、少しでも実力が劣れば音に引っぱたかれて置いていかれます。少しでも心持ちが中途半端なら、底の浅さは瞬時に丸裸にされます。最初から全裸だとしたら、骨の髄まで剥がされます。そういうものです。
だからこそ、この人を選びました。そういうことができる相手は、この世に何人もいません。

私個人としては、元はといえば20歳の頃からいわたさんのただの一ファンだったものとして、彼とこのパフォーマンスができることになったのは、少し不思議な感じでもあります。
なんですが知り合って以来、私の活動を知った岩田さんも、個人的に個展を見に来てくれたり(なんだかんだほぼ毎回来てくれてた)してて、個人的な交流が長年かけてごくマイペースに続いてきた中で、私としては結構前から岩田さんとやってみたいという気持ちはあり、ふと口に出してみたら、えっやろうよ。てなった、という経緯でした。やると決まってからは、ものすごく展開が早かったです。何もかもがトントン拍子で決まっていきました。
また、有難いことにたくさんの方にご協力いただき、普段日本にいない私を助けてくださった方には感謝の念でいっぱいです。

私の絵を目的で来られる方にも、彼の音の世界は素晴らしく響くことでしょう。
また、岩田さんのファンの方や、岩田さんの表現が好きな方にとって、彼個人の音の世界をとことん堪能できるこの機会は、それだけでたまらなく贅沢なチャンスであると言えるでしょう。かく言う私もその一人です。

とにかく、少しでも興味があるなら来ない手はありません。ぜひおいでいただき、楽しんでいただけましたら幸いです。私もひたすら楽しみにしています。というか、演者二人がどこの誰よりも楽しみにしているのがこのパフォーマンスです。当日が来たら興奮しすぎで死ぬんじゃないかとちょっと本気で思っています。しなないようにがんばります。応援よろしくお願いします(?)。

godzmekanoという名前はほぼ自動で勝手に降りてきた名前なのでなんとも言えないんですけど、由来とか意味みたいなものは「自動で神的なものが降りてくる装置」というイメージです。
あと微妙にゴジラ感とメカエリチャン感があります。なんでしょう、私も岩田さんも図体がでかい、失礼、背が高いからかもしれません。襲来感があるかも。しれません。

ちなみにgodzmekanoのアクセントは「有明海」と一緒です。(個人の意見です) 


當麻 ユキコ



This is simply my honor that this time I could be able to have such a great opportunity to hold this improvisation performance with Yushi Iwata for the first time.

I’ve been just a big fan of him, but he’s been always my dear friend and he also interested in my artworks for a long time, then we’ve kept really a good relationship for a long time - it’s almost 18 years!

If you’re interested in this collaborative show, please come and join us. I’m sure it’ll make you exciting deep inside of your heart. Would be a great opportunity also for YOU!

with love,
Yukiko

UMPRUM (VŠUP) 留学について

私がUMPRUM(旧略称VŠUP)に留学して以来、そのことについて書きましたブログ記事を見てのことか、留学について質問がしたいという問い合わせを未だに定期的にいただいておりますが、そういうお問い合わせをする方のほとんどが用件が実に曖昧です。特に顕著なのが
・行くスタジオも決めてない
・決めるための下見に学校見学にも来ていない
・入学条件を大学のHPで調べたり大学に問い合わせたり、といった最低限の努力すらしていない
という、自分でできる基本的なことを何もしていない方が殆どでして、正直申し上げて大変困惑しております。
更には当ブログしか見ていないせいで私が今何をしているかも知らず、私のHPも見ていないようで本名すら調べずにアルファベットの宛名でメールをいただくこともあり、正直、正気を疑うレベルです。

UMPRUMに行きたいのであれば、言うまでもない当然の話ですが、まず大学に直接尋ねたり調べたりしてください。
コーディネーターのHanaがとても親切で返事もかなり早く、英語が堪能ですので、彼女になんでも聞くといいです。
https://www.umprum.cz/web/en/study/visual-arts-program
※このURLも変わってるかもしれませんが、Visual Artsという項目をご自分でお調べください。

また、大学の入学条件であれビザの条件であれ、毎年色々な条件がちょこまか変わります。
大使館ページも入試要項も、必ずその都度全部自分で調べて最新の情報を元に動くように気をつけてください。


調べ尽くしても分からないこと、大学や関係者に尋ねても答えてもらえなかった重要なこと、また私にしか答えられない質問内容だと思った場合のみ、メールをくださって結構です。ここまで調べたがここからがどうしても調べがつかず、留学のための準備が進められない、というように、必ず内容をはっきりさせ、私に聞く必要があるのかどうか確かめてから送ってください。
但し、自分が答える価値もいわれもないと判断した場合はお返事いたしません。
私はボランティアでも留学斡旋業者でも無料のコールセンターでもありません。私はフリーランスで忙しく、皆さんの最低限の努力すら果たされていない質問メールにお答えする義理も暇もありません。
ですので、上記のようなケースの全てに、今後は謹んで返答をお断りいたします。
どうぞご理解ください。



最後に。
本当に行きたいのかどうか、自分が行くに価するスタジオかどうかは、直接学校の展示発表会(学期末に年二回あります)を見に来たり、直接ポートフォリオを持ってアポ取って先生たちに会いに行ったりした方が、ここに来るぞ!と思えたり、ここだと思ったけど違うスタジオに惹かれたり、違う大学に行こうと思うなど、焦点もはっきりするでしょうし、気持ちが固まれば大変な留学準備も頑張れると思います。留学したいのなら必ずするべきステップの一つだと思います。
留学というのは、大変なものです。楽なことなど一つもありません。ただでさえチェコは情報が少なく、未だインフラの整わない部分も多く、気楽に来ても辛いだけだと思います。(旅行と住むこととは全く根本から違います。)食生活や住環境が合わず、身体を壊す人もいます。ましてやUMPRUMのようにマスターを取るために2年住むとなると、大変で当たり前です。分からないことしかないという状態がデフォルトです。
それでも来たいという気持ちが強いなら、その心に従うべきです。それに報いるだけのものは、必ず得られるはずです。
要は、自分自身の心としっかり向き合い、覚悟を決め、しかるべき準備は全て整えるという気概を持って臨むべきだということです。でないと、何かが起こったとき、誰も助けてくれないこともあるのですよ。
自分の決めた道なら自分で責任を取って前に進むというベーシックなことを、身につけてください。
これができていないと、個人主義のヨーロッパと全体主義の日本での根本的違いについていけないままになってしまうと思いますので…。頑張ってください。